
記念艦 三笠
黄海海戦
明治37年8月10日、
乃木将軍率いる陸軍第3軍が旅順要塞攻略を始めようとしていた ほぼ同じ頃、海軍連合艦隊は、旅順を脱出して黄海海上に姿を現したロシア旅順艦隊を発見しました。
黄海を南下してウラジオストクに向かうと見た連合艦隊は、追撃して激しい砲撃戦となります。
追撃されていたロシア旅順艦隊は攻撃を三笠に集中し、三笠は約20発もの敵砲弾を受け、そのうちの一発は後部主砲に命中して主砲が破壊される甚大な被害となりました。
この被害の際、皇族軍人である伏見宮博恭王殿下が負傷しています。
三笠以下の連合艦隊は、被害を抱えながらもロシア旅順艦隊を7時間あまり追撃し続けますが、撃沈には至りませんでした。
この黄海海戦での三笠の戦死者は33名、負傷者83名を出し、この被害は、大海戦となる日本海海戦より大きな被害となりました。