皇居
恐慌下の時代
1917年の大正時代、第一次世界大戦中にロシア革命が勃発し、ロシアが崩壊しロマノフ王朝が倒れ、ソビエト社会主義共和国連邦となります。
大戦中に好景気に沸いた日本も、大戦後は戦後恐慌に見舞われ、その最中に1923年、大正12年
9月1日に関東大震災が襲いかかり、暮れには摂政宮(後の昭和天皇)が狙撃される虎ノ門事件が発生したりと、日本の社会は出口の見えない暗黒の様相を呈します。
9月1日に関東大震災が襲いかかり、暮れには摂政宮(後の昭和天皇)が狙撃される虎ノ門事件が発生したりと、日本の社会は出口の見えない暗黒の様相を呈します。
こうした状況下に社会主義活動家、山川均らの思想に影響を受けた徳田球一ら8名により、君主制(天皇制)の廃止、貴族院の廃止、団結、集会、出版の自由、全ての成人男女による選挙実施などを求める日本共産党が結成されます。
一見、荒唐無稽のような綱領を揃えた共産党は、貧しい生活に喘ぐ人々からの支持を増やしつつあり、ソビエト連邦の世界に革命を起こそうという動きは、日本に先んじてヨーロッパで活発化していたことに日本の政府も危機感から警戒を強め、1925年、大正14年に治安維持法を
発布して反政府、反体制などを訴える集会などを弾圧する権力を持ち、こうした左翼思想者を徹底して取り締まる特別高等警察【通称〜特高】が誕生します。
1926年、大正15年12月25日。
その様な暗い世相の日本で、生来、病弱だった大正天皇が崩御。
5年あまりに渡り、大正天皇を支えた摂政宮 迪宮親王が即位され、昭和天皇となります。
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