織田信長 公~近世の曙像
(名古屋市緑区 桶狭間古戦場公園)
二人の御曹司
万松寺 天主坊に薄汚れた身なりの青年が足早に訪ねて来た。
織田の御曹司、信長である。
その出で立ちは腰に朱鞘の太刀を縛りつけ、髪は茶筅で乱暴に縛りつけ、手には大小の瓜をぶら下げていた。
朱鞘の太刀が無ければ、百姓の若者にも見えるだろう。
渡り廊下をづかづか足音を立て、竹千代君の居る部屋の襖を勢いよく開いた。
部屋には三人の童。
一人は折り紙遊び。
一人は書物を読んでいる瞳の大きな童。
もう一人は書物を読んでいる童を遠巻きに眺める年上の童だった。
信長は折り紙遊びの童に向かって、
~その方が松平の竹千代か?~
と切れ長の目を開いて問いかけた。
童は怯えた表情を浮かべて軽く首を振った。
すると書物を読んでいた童が、
~松平竹千代でござる。 ~
と口を開いた。
その視線は信長の腰の朱鞘の太刀に一瞬目をやり、一礼した。
~その方が松平の御曹司であるか。俺は信長という。 俺に何か得意なものを見せてみろ。~
信長の問いに竹千代君は、縁側に腰掛け、口笛で、
~ホーホケキョ…~
鶯(うぐいす)の鳴き声を真似てみた。
信長は、どうせ年端の行かない童のことだろうから、覚えて間もないであろう武芸の一つでも見せるだろうと考えていたが、鳥の鳴き声を真似て見せた。
~ほう…うぐいすか。見事であるな。ならば犬か猫の真似もやってみよ。~
~それがし は小鳥の真似しか出来ませぬ。~
竹千代君はそう信長に返し、
~ピーチク、ピーチク~
~チィ、チィ、チィ~
雲雀(ひばり)や目白(メジロ)の鳴き声を続け様に真似て見せた。
こやつ、やはり家中で話題になっていることをわかってやがるな…その小鳥の真似をあえて俺に披露してみせた…。
~もうよい、竹千代。よいものを見せてもらった。
これをやる。~
信長は手にしていた瓜を差し出した。
竹千代君は信長が持っている残りの瓜を指さした。
~それがしに下さるなら、あと二つ下され。~
信長は呆れた。
~竹千代、その方 欲張りよのう。この瓜は、俺が百姓との角力(相撲)で勝ち取って手に入れたものであるぞ。~
~徳千代は、それがしが与えれば、すぐ食べまする。でも、三之助は それがしが食べ終わるまで口にしません。~
小姓に目をやる竹千代君を見て信長は理解した。
こやつ、年下の家来と見守る年上の家来の性格をも考えておるわ…。
~ハッハッハ。わかった、わかった。
この瓜もその方に与える。~
信長は三つの瓜を手渡した。
~かたじけのう ござる。~
竹千代君が答えた。
年上の小姓、三之助が深く平伏した。
~竹千代は小鳥が好きか。~
~はい、でも一番好きなものは鷹でござる。~
~フフ…であるか。~
鷹は武家の者にとって、壮健な身体作りと民情の視察に欠かせないものである。
それに…。
能ある鷹は爪を隠す…。
家中でも、黒鶇を返して寄越した竹千代君のことは小生意気な御曹司と話題になっていたが、信長は、こやつは俺の前で黒鶇の真似をしてみせ、鷹の爪を隠しおった。信長は即座に理解した。
小さくとも鷹の爪を隠す大将の片鱗を竹千代君に見た信長は、竹千代君をことのほか好きになった。