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日本歴史紀行

歴史 今日の出来事  慶応3年 11月15日  坂本龍馬、中岡慎太郎 暗殺



歴史 今日の出来事 慶応3年 11月15日 坂本龍馬、中岡慎太郎 暗殺



近江屋跡
坂本龍馬、中岡慎太郎 遭難地碑


1853年 嘉永6年4月過ぎ、江戸に入った龍馬は、土佐藩邸で起居しながら千葉定吉道場で北辰一刀流を学びます。

千葉道場 千葉定吉の長男、重太郎や妹、佐那とも親交を深め、江戸での生活も慣れてきた6月。

ペリー提督率いるアメリカ海軍の東インド艦隊【ペリー艦隊】が浦賀沖に来航しました。

浦賀沖の騒ぎは江戸にも伝わり騒然となる中、龍馬は品川の土佐藩下屋敷周辺の警備に駆り出されます。

ペリーの来航は徳川幕府の治世の下、泰平の世にあった日本を外圧により、強引に開国を迫るもので、これにより尊皇攘夷【天皇を尊崇し、外敵を排除する】を主張する志士が誕生します。

土佐では龍馬と同時期に江戸にあった武市半平太が後に土佐勤王党を結成して一大勢力を作り上げます。


尊皇攘夷運動はやがて徳川幕府を倒す倒幕へと変貌し、龍馬は対立していた薩摩と長州の手を結ばせるという薩長同盟を仲介するという大役を果たすことになります。

幕府は2度目の長洲征伐に失敗、14代将軍 徳川家茂が陣中の大坂城で病没と不運が続き、さらに民衆の支持を失い、将軍職に就いた15代将軍 徳川慶喜は政権を返上する決断を下し、慶応3年10月15日、大政奉還は明治天皇より奏上を勅許され、265年に及ぶ江戸幕府は終わりを告げました。


大政奉還からひと月の11月15日、幕臣 佐々木只三郎指揮の京都見廻組が坂本龍馬の潜伏する近江屋を突き止め、襲撃します。





暗殺実行者の1人 今井信郎の像

見廻組は、佐々木只三郎以下、渡辺篤、今井信郎、桂早之助、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の8名で、大和 十津川郷士を偽り、店番をしていた山田藤吉を殺害し、龍馬の潜伏する2階に上がって応対した龍馬と中岡慎太郎を斬りました。

龍馬は間もなく絶命、中岡慎太郎も瀕死の重傷から3日後に亡くなりました。

奇しくも龍馬の誕生日でした。(享年33)





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