湘南 発祥之地碑
神奈川県中郡大磯町大磯
〜湘南〜
日本人で知らない方はいないであろう名称ですよね。
では、湘南とは何処から何処まで?
イメージだと、江ノ島〜のある片瀬江ノ島東浜と西浜…いえいえ。
ぼくの印象だと、相模湾の西から葉山マリーナのある葉山町から江ノ島のある藤沢市、サザンビーチで知られる茅ヶ崎市、平塚市、伊藤博文、吉田茂といった多くの元勲の別荘地のあった大磯町、二宮町、小田原市、神奈川県最西部の真鶴町と、相模湾のほとんどを指すかも知れません。
不安になり、ウィキペディアの力を借りると…
以下、【】内はウィキペディアの文言です。
【一般的には、相模川の河口を中心とする5市3町(平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町)を指す。広義には、相模湾沿岸の全域(三浦市から足柄下郡湯河原町まで)を含むことがある】
とあります。
…秦野市、伊勢原市は海に面して無いし、湯河原町は静岡県熱海市のすぐお隣りさんなんですがね。
結局、湘南とは、神奈川県の南部を大まかに指すのかも知れませんね。
それで ぼくは、
今日は湘南を探してきました。
湘南発祥の地を示す史跡が大磯町にありました。
湘南発祥之地〜大磯碑
神奈川県中郡大磯町 国道1号線沿い
鴫立沢標石【湘南発祥之地碑】
神奈川県中郡大磯町大磯 鴫立庵入口
最古の鴫立沢標石【 湘南発祥之地碑 】
寛文四年(1664年)建立
神奈川県中郡大磯町大磯 鴫立庵入口
鴫立沢標石
神奈川県中郡大磯町大磯 鴫立庵敷地内
鴫立沢標石(裏側)
よく読み取れませんでしたが、著盡湘南
鴫立沢標石(裏側)
よく読み取れませんでしたが、著盡湘南
清絶地と記しているそうです。
これら湘南発祥の地を記す石碑は、何れも大磯町にあります。
湘南を大磯とする根拠とは…
さかのぼること、
平安時代後期の歌人〜西行法師にあります。
【 心なき 身にも哀れは 知られけり
鴫立沢の 秋の夕暮 】
〜西行、新古今和歌集
鴫立沢と呼ばれる大磯町西端の景勝地の海岸一帯に来た西行法師が詠みました。
その後、時代は流れ、江戸時代、徳川四代将軍〜家綱の治世下、寛文4年(1664年)に俳人〜崇雪(そうせつ)が、釈迦、阿弥陀、大日、阿閦(あしゅく)、宝生、の五智如来像を安置、草庵〜鴫立庵を結びました。
崇雪は、小田原の医師〜外郎(ういろう)の子孫で、その先祖は大陸から渡って来た渡来人とい
われ、かつて西行が詠み親しんだ鴫立沢を記した歌にちなんで石碑を建立、【著盡湘南清絶地】〜ああ、湘南せいぜつち〜意味合い〜湘南はなんと素晴らしい場所〜と鴫立沢の石碑の裏に刻みました。
これは、崇雪が先祖の故郷〜中国の大河、長江の支流である湘江一帯の南部、湘南地方の風光明媚な景観を、鴫立沢のある この地(相模湾南部)に想いを重ねたことを表しています。
この地を湘南と呼称し、石碑に刻んだ最初の地が鴫立沢〜現在の大磯町です。