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日本歴史紀行

歴史紀行 30 ‐ 19 高野山 智泉大徳廟





智泉大徳廟


智泉大徳廟

和歌山県伊都郡高野町 高野山


智泉大徳は、母が弘法大師 空海の母の姉にあた
り、つまり、空海の甥で、親戚の間柄になります。


空海がまだ僧侶の資格すらない世に出る前の私度僧として、四国の山林の中を歩く山岳修行中の身だった頃から弟子となり、やがて智泉16歳
のとき、空海と共に遣唐使船に乗り込み唐へ渡り、空海が真言密教の後継者となる姿を間近で見た智泉は、師 空海への思慕を一層強め、空海に仕えました。


師 空海のため、真言密教のため、空海の手足となって高野山開創のために疲労も惜しまず奔走したためか、825年 天長2年、病に倒れ、間もなく亡くなります。まだ37歳の若さでした。

智泉を失った空海の悲しみはとても深く、以下の文を残しました。



空海~達襯(たっしん)の文~

哀しい哉(かな)哀しい哉

哀れが中の哀れなり~

悲しい哉 悲しい哉

悲しみが中の悲しみなり

哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉


空海が甥で一番弟子の智泉を亡くした後に慎んで記した文です。




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