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日本歴史紀行

歴史紀行 64 北条時政 願成就院 北条時政墓所


願成就院 北条時政墓所
静岡県伊豆の国市寺家



伊豆の小豪族、北条氏。
平清盛による気まぐれの様な源頼朝に対する配流が伊豆、蛭ヶ小島では無かったら、清盛が築いた平家の王国が滅ぼされることは無かったでしょう。

1161年、平治2年、平治の乱に勝利した平清盛は、敗走の末に父とはぐれて捕らえられた源頼朝を伊豆への配流とし、その監視を平氏の遠い縁にあたる伊豆地方の豪族、伊東祐親、北条時政に命じました。

戦に敗れた敗軍の将〜源義朝の倅という身分から、配流先において、頼朝はある程度の監視はありながらも、従者〜安達藤九郎盛長が世話役に付くことが許され、比較的自由がありました。

京では清盛が一門を率いて絶大な権力を持ち、この世の春を謳歌しており、伊豆に流した頼朝のことなど、頭の隅にも無かったことでしょう。


願成就院 山門


 

頼朝の配流から14年、1175年 安元元年頃、頼朝が監視役、伊東祐親の娘、八重と恋仲となり、やがて二人の間に子供まで作っていたことを、京から戻った祐親が知り大激怒し、頼朝を殺そうとしますが、頼朝は寸前で逃亡して北条氏の邸宅に匿われます。

この邸宅で政子と出会った頼朝。
ここでも頼朝は政子は恋仲となり、心配した時政は二人を引き離すべく、政子を伊豆の目代(伊豆国の役人)山木兼隆に嫁がせる策をとるも、政子は屋敷を逃れ、頼朝の元へ身を寄せると、時政も根負けし、頼朝と政子の婚儀を認めます。

源氏嫡流、源頼朝の義父となった時政は、この後、頼朝と政子が結ばれなければ、およそ縁の無かった権力を手に入れることになります。


2に続きます。


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