慶長20年5月8日(1615年6月4日) 大坂夏の陣 終結徳川家康が三日分の腰兵糧で良い。と語り、冬の陣の講和により、惣堀を埋めらた裸城の大坂城から出陣した豊臣方の将兵。真田幸村、後藤又兵衛ら、豊臣方の主だった諸将も前日までに討ち死にしたことにより敗北は決定的となっていました。千姫を脱出させ、豊臣秀頼と淀殿の助命嘆願も、徳川方の井伊直孝の軍勢が二人の籠もる山里曲輪に鉄砲を撃ちかけたことにより、豊臣秀頼と淀殿は自刃し、大坂夏の陣が終結。豊臣氏が滅亡しました。