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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 8 ‐ 7 奈良県桜井市 7






日本の芸能発祥の地 土舞台
奈良県 桜井市 谷


芸能〜現代では、歌謡から映画、演劇など様々なジャンル、多岐に渡りますね。


日本の芸能の始まりを考えてみると、古来から伝わる神楽などが思いつきますが、これは、農耕民族でもある日本人が五穀豊穣を願い、または収穫を感謝する神事とも言える性格のものと言えます。


神楽に際して、古来から伝わる神社仏閣の中には、神楽を舞う神楽殿などが境内にある所もあります。 









日本の芸能発祥の地〜土舞台の登場は、今から1400年以上昔の飛鳥時代に遡(さかのぼ)ります。

当時は、神楽殿など、そうした場所がまだ作る発想も無かった時代です。
















土舞台の由来〜
日本書紀によれば、推古天皇20年(612年)に、〜百済からの帰化人 味摩之(みまし)が時の摂政 聖徳太子に拝謁し、味摩之はり、伎楽(くれがく、ぎがく)の舞が披露され、時の摂政 聖徳太子はこの場に少年らを集めて習わせたとあります。


日本書紀」の推古天皇20年の記事に、時の摂政聖徳太子に、「又百済人味摩之(みまし)帰化けり。曰く呉(くれ)に学びて、伎楽(くれがく)の舞を得たり」といふ。則ち桜井に安置(はべ)らしめて、少年を集へて、伎楽の舞を習わしむ。是に真野首弟子(まののおびとでし)と新漢済文(いまきのあやひとさいもん)ふたりの人、習いて、その舞を伝ふ」とあります。


伎楽とは、古代のチベットやインドで盛んになった仮面劇のことで、大陸西部の国々から西域を経て唐国に伝わり、その舞は滑稽卑俗で、ユニークなものであったようです。


この土舞台は江戸時代の「大和名所図絵」にも描かれていますが、歌舞伎などの演劇が大成した江戸時代にはほとんど知られなくなっていたものを、桜井市出身の文芸評論家、保田與重郎(やすだ よじゅうろう)が、顕彰すべきと考え、土舞台は飛鳥時代に聖徳太子が作らせた日本最初の国立劇場で、聖徳太子は現代で言う国立演劇研究所をも併設して芸能文化のため尽くされた、という趣意書を執筆して発表したことで広く紹介しました。


最初に触れたように、日本には【神楽】という芸能の一種ともいえるものがあったこの時代に宮廷に伎楽が加わって日本の芸能は幅広い豊かなものとなっていきました。 


宮邸により養われたこれらの音楽家は天王寺や住吉、春日等大社寺に保護されて、民間でも演技を行うようになっていきます。
 

かの東大寺の大仏が建立され、開眼供養が盛大に催された際にも伎楽の舞が披露され、その際に使用された面は大阪の藤田美術館に保管され、東大寺や法隆寺の面も東京国立博物館にて保管されています。


保田與重郎の土舞台の存在を広めたいという熱意が形となって実を結ぶことになります。


1972年 昭和47年11月4日、「土舞台」と刻した標石の前で顕彰会に桜井市が後援となり、盛大な顕彰式典が挙行されました。






当日、特別来賓として朝永振一郎(ノーベル賞受賞の物理学者)夫妻、福田恒存(劇作家)、俳優の森繁久弥、岸田今日子、仲谷昇といった一般に馴染み深い芸能人も出席して話題となりました。


森繁森繁久彌が芸能人代表で、歌舞伎から漫才に至るまで、我が国の芸能人は、当地に参ってから各自の芸を演ずべきだ、と感動をもって挨拶していました。




現在の土舞台は、こうした盛大な顕彰の形跡も忘れたかのような静けさばかりでした。




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