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高野山 大門
3月21日 弘法大師 入寂の日
835年 承和2年 正月、京での宮中の後七日御修法(みしほ)や公式行事を終えた弘法大師 空海は2月に高野山に帰った後に、食事を絶って坐禅三昧の日々を送ります。
3月15日、空海は弟子達を集め、21日に入定すると予告し、真言宗信徒が守るべき25ヶ条からなる遺告(ゆいごう)を遺しました。
身を浄めて浄衣に着替え、大日如来の定印を結び、真言を唱えながら結跏趺坐(けっかふざ)
のまま、835年 承和2年、3月21日 寅の刻(午前3~5時)、弘法大師 空海は自らが開いた高野山で入定されました。
大師入定後、弟子達は灯籠堂地下の御岩窟に身を収め、地上に御廟を建立しました。
86年後の921年 延喜21年、醍醐天皇より、弘法大師の諡号(しごう)が贈られました。
大師は瞑想の状態にあり、入定から1200年近く経ちますが、現在も弟子達により給仕され続けています。