源頼朝、北条政子 夫婦像
北条政子 産湯井戸
静岡県伊豆の国市寺家
北条政子が源 頼朝と恋に落ちたのは、1177年、治承元年頃です。
頼朝が伊東祐親に命を狙われ、北条邸に匿われた後、政子と頼朝は恋仲となり、この顛末を知った政子の父、時政は猛反対し、政子を伊豆の目代(伊豆国司の代官)山木兼隆へ強引に嫁がせようとします。
頼朝への想いを断ち切ることなど出来ない政子は、山木屋敷を抜け出し、頼朝の居る伊豆山神社へ向いました。
当時の伊豆山神社は屈強な僧兵の護る神社で、目代の山木兼隆も手出しできず、父の時政も、ついに折れて政子と頼朝の婚儀を認めます。
やがて政子は頼朝の子を身籠り、大姫が誕生。
1180年治承4年4月、夫婦が小さな幸福を手に入れたのも束の間、京から後白河法皇の皇子、以仁王による〜全国の源氏に平家追討を呼びかける令旨がもたらされます。
頼朝は義父の時政を抱き込み、8月に挙兵します。
政子の幸福は、結ばれてから頼朝挙兵までの2年あまりと、頼朝が平家を滅ぼした後、征夷大将軍に任じられて意向、頼朝が急死するまでの7年間あまりでしょう。
頼朝死後は、鎌倉幕府内の謀略、政争の背後に控える女主人として君臨します。