Unknowingly Lost Days.

日記だの思いだの呟くブログ

自分史-その3

2016-12-14 07:43:18 | 独り言&本音

(前回の続き)

そんなこんなんで無事に、短大に合格できました。
やはり、周りは知らない子だらけで不安はありましたが、
少しの会話くらいならできる人がいたのでなんとかやっていけました。

馬鹿な私は、授業についていくのがやっとでしたのでむしろそういう心配があったのかもしてません。

あとは、私は就職という先のことを考えたくなかった。
自分に良く言うのであれば、考える気力すらなかった。
悪く言うと、目を背けていた節があってそれも辛かったです。

半年経ったくらいからでしょうか?
LINEで私に対する嫌がらせが始まって、
今までなんとか保っていたのが一気に落ちて、
自傷行為が始まってしまいました。

幸いにも他人の先生が躁鬱持ちでので、ある程度理解があり助かりました。
いろいろと配慮してくれましたし、それも私はもうだめって状態でしたので、
休学を希望しました。先生はそれも手と了承はしてくれましたが、
親は「高校で2回も休んで、また繰り返すのかいい加減にせい」となかなか了承してくれませんでした。
そこは、先生の説得でなんとか休学は出来ました。

休学する前にやっていたバイト(簡単な食事の提供と皿洗い)はリハビリ代わりにやっていました。
もちろん、主治医と両親の了承を得てです。

年明けはそれを続けていました。
けれど、バイト先の同僚が私に対してきつくあたったりして嫌気がして、
少し時給のいいコンビニのバイトをはじめました。

けれどそれがダメした。
基本、16時~22時なのですが…休憩はなしです。
12時~20時でもなしでしたね。給与明細もなしです。
残業が1時間なんて当たり前でしたし、深夜勤務もありましたね。
その後に、12時から出勤というのを突然言われたりしました。
そこで心身もっとやんだ気がします。

また、休学を延長するかしないかの選択を4月にすることになったのですが、
半月でも私に嫌がらせした人たちと一緒に学ぶのは嫌と拒否しました。
親からは「復学する気ないんだろ」とさんざん責められ、バイトで稼いでいるのならお金入れてねとも言われました。
当たり前といえばそうですね。

4,5月は、私の住んでるところもあって、まともに動ける状態ではありません。

6月くらいになって、そんなコンビニバイトは辞めて、
大型ショッピングセンターのメンズ服売り場でバイトし始めました。
大体の契約時間は、18時から閉店までの22時です。
まだ楽でしたね…失敗した時に報告書書いたり怒られたのは辛かったですが…
それでもまだしばらくは…

精神的にも安定していましたし。
それでも、昼夜逆転になりきれない中途半端な生活リズムは送っていていたと思います。

8月くらいから、本格的に父親と衝突して、
「お前は自分勝手」だとか「病気も気の持ちよう」「キチガイ」「お前が出ていてもなんとも思わん」とか散々言われました。
私はいつかだったかははっきり覚えていませんが、家族に見せびらかすように私のリスカの痕を馬鹿にしたり、
「お前はキチガイだ」と言われたことも覚えています。
自転車(私の不注意でもありますが、初めて)が盗まれた時もてめえの管理が悪いから自業自得だとも言われました。
少し口答え(というより反論や意見)をしただけでも殴られました。
何か自分に不都合なことを言われると、私の悪口や暴力で黙らせるのが日常でした。

問題は、9月くらいでしょうか?
バイト先で独り辞めて、14時~22時までのシフトが増えたこと。
そして、早く親から離れたいから短大も中退しました。
やはり、着いていける自身が無かったというのも無きにしてあらずですが…

そして、親から離れるために短時間6時~9時のコンビニのバイトを入れたこと。
しかし、掛け持ちすることで生活バランスも崩し体調も崩し、
精神も病み、自殺しようとして未遂しました

今ですか?それはまた機会があるときに



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