映画「ヘルタースケルター」を観ました。ツタヤで借りてきたDVDね。
先日たまたまYouTubeにアップロードされているのを見かけて、他の作業をしながらなんとなく眺めていたんですよね。
意外と面白かったのでそのままずっと観続けていたのですが、YouTubeの動画は途中までしかなくて最後の方は観れなかったのです。
それで結末が気になってしまって、ツタヤでDVDを借りてこようと思ったわけです。
DVDではもう一度最初から視聴して、無事に最後まで観ることができました。かなりの長編なので疲れました。いや、長編だからなのか、内容的な問題なのか……。
感想ですが、何とも評価に困る映画でした。
良いとも悪いとも言い切れない。安っぽいテレビドラマのようなところもあれば、完成度が高いと言える部分もあり、芸術性もある。どうも、それらすべてを一つの映画にまとめてしまったことで、作品としては中途半端になってしまったような残念な感じもします。
そんなごちゃまぜな感じがまさに、映画のタイトル通りの「ヘルタースケルター(しっちゃかめっちゃか)」なんだと納得するしかないような……。
主演の沢尻エリカさんの演技は素晴らしい。上手いか下手かというよりも、違和感なく「はまりすぎている」という感じで。彼女はこの映画のために存在する女優であり、この映画も彼女のために存在していると言ってもいいくらい。なんかすごかったね。
私の中での彼女のイメージは「手紙」という映画で、それくらいしか観たことないのでほとんど先入観はないのですが、世間的には「パッチギ」とか何とかのイメージがあって残念がってる人も多いようですね。過去のイメージはどうでもいいです。
性的な描写も多く、かなり生々しく描かれているのですが、アダルトビデオかと思うほどの露骨なシーンもあります。それらのシーンも、特に上手くもなく下手でもなく、ただそこにあるものとして淡々と描かれていたような感じがします。こんなものには意味はないとでも言いたげな描き方でしたね。そのくせ無駄にそういうシーンが多いんですが。
監督さんはたぶん不感症です。
それよりも……こういうことは作ってる側も意図しているかどうかすら怪しいですが、あちこちのシーンで見られる生々しい表現がかなり精神的に来るような気がしました。例えば、何度も出てくる嘔吐するシーンとか。なんかね、吐しゃ物は一切描かれてないのに、とても見ていられなくなって目をそむけてしまいたくなるのです。それって、沢尻さんの演技のせいなのかな? 理由はよくわかりません。
印象的な水族館のシーンがあるのですが、何となく見覚えがあるなあと思って調べてみたら八景島シーパラダイスの水族館だったようですね。私もその水族館には行ったことがあるのです。自分でもいつだったかよく覚えてなかったのですが、ブログを検索してみたらこの辺(アポロ漫録)にありました。3年前の夏だったようですね。
映画の話に戻りますが、ストーリーは、整形して美人になって素晴らしい人生を手に入れたと思ったら、いろいろ失敗して転落してゆくという感じの話でした。
「整形」に関しては世間で話題になったりしてその手の記事を見かけたりするたびに気になっているのですが、整形をして綺麗になるなんて幻想にすぎないと思います。いや、断言してもいい。整形では美しくなんてなれない。
誰にだって綺麗になりたいという欲望があるのはわかります。ただ、その欲望を満たす手段として整形というのは100%間違っていると思います。整形をしたという人の顔を見て美しいと思ったことは、今までただの一度もありません。
それも当然だと思いませんか? 人の手で粘土をこねるようにして作った顔がどうして美しくなるというのでしょう?
美というのは、とても崇高なものだと思います。神のみがなしえる業だと思います。人間ごときの稚拙な技術で神の業に勝てるはずもありません。もともと神によって与えられた美しさを、わざわざ人の手で醜くする行為。それが整形であるとしか言いようがありません。
人間にだって、職人と言われるような人たちの技術があれば、完璧と言っていいほどの「整った顔」を作ることはできるかもしれません。でも、「整った顔」が「美しい顔」であるとは限らないのです。美しさとは、どこか歪(いびつ)なものであったりもするのです。その「歪」は人の手では絶対に作れません。なぜなら、人には「整えよう」という習性があるからです。
しかし、人間の中にも神と言われるような人たちは存在します。芸術家の中には神のような崇高な作品を生み出す人もいます。もし、そのような人が整形を手掛けたならば、本当に美しい顔を作ることもできるのかもしれませんね。そういう人は100年に一度とか、1000年に一度くらいは出てくるでしょうが、それではとてもカジュアルに整形手術などできるはずもありません。
しかも、残念ながら、芸術家は整形の仕事をしません。彼らは、整形の技術を学ばない代わりに芸術家になるからです。(たぶんね。)
ともかく、整形なんて馬鹿げてるってことですよ。
私はそう思うのですが、おそらく、この映画を作った人(蜷川さんだったかな)は整形を含め、人の手による作り物の美しさを信じている人なのだと思います。信じているなんて生易しいものではない。崇拝しきってると思います。
だからこの映画も中途半端なんだと思います。
本当に素晴らしい映画は、作り物ではない、本当に美しいものに対する心の奥底から湧き上がる賞賛の気持ちからのみ生まれるのだと思います。神の業に対する謙虚な態度にこそ、感動があるのではないでしょうか。
この映画は、そんな神に対する無謀な挑戦ということになります。それは、人としては「カッコいい!」と評価されることなのかもしれませんが、心を揺さぶるような感動は生まれないんです。「頑張ったね」と褒められて終わりでしょうね。
「綺麗だね」とか「頑張ったね」とか、そんな風に褒められたくて作った映画ということならば、その目的は十分に果たせたのではないでしょうか。そういう意味では、素晴らしい映画だと評価しても良いと思います。出来は決して悪くはないと思います。
そう、それはちょうど、整形によって最高の美貌を手に入れたこの映画の主人公「りりこ」のような、人の手によって美しさを追求した結果生まれた作品。それが、「ヘルタースケルター」という映画なのだと思います。