BDの「ゴースト・イン・ザ・シェル」を借りてきて観ました。2017年公開の実写映画です。主演はスカーレット・ヨハンソン。
(以前の記事「攻殻機動隊 新劇場版」のレビュー)
ネットで見かける予告編の映像などは悪くない出来栄えに見えるのですが世間では酷評されているようですね。主役は日本人なのになぜ白人が演じているのかという議論もあったりして。私の事前の予備知識としては良い評判はほとんどありませんでした。
それでも怖いもの見たさもあり、自分の目でちゃんと確かめておこうと思ってブルーレイを借りてきました。
実際に観てみると、確かに妙なツッコミどころがたくさんあって批判したがる人も多いだろうなとは思いました。原作の漫画やアニメを観たことがある人たちの目には納得できない所がたくさんあったかと思います。私も観ている最中に原作とは異なるストーリーや奇妙な設定に気持ちが萎えかけましたが、最後まで観終わってみるとそんなに悪いものだとは思いませんでした。これはこれでありなのかな……と。
例えば、なぜ主人公は元軍人でもないのに最初から「少佐」と呼ばれているのか?とか、薬缶でお湯を沸かすと「ピー」と音がするけど、音が出るような薬缶には見えないとか……どうでもいいことだけど、気になるところはいくつもあるのよ。細かいことは気にせず雰囲気の再現に力を入れて作ってるような印象もあります。ストーリーとか何かおかしいもん。
「さすがハリウッド」と言える完成度の高い映像(日本では無理)ですが、それでも1995年(25年前!)のアニメの映像には及ばないと感じました。まだまだ実写映像はアニメに追いつきませんね。というか、永遠に超えられないのかも?
決して手抜きや妥協の産物ではないと思います。映像は非常によく作り込まれていて、演じている役者さんたちも素晴らしい演技をしています。十分熱意を感じる素晴らしい作品だと思います。
ただ、この作品が本当に士郎正宗の漫画「攻殻機動隊」を原作とするアニメとして、「ゴースト・イン・ザ・シェル」と名乗る資格のあるものなのかどうか?
その疑問の投げかけを、この映画自体が行っているような気もしてきます。
この映画のテーマの一つとして、主人公の「少佐」のアイデンティティの悩みがあります。自分は本当に自分なのか?みたいな疑問です。
生身の肉体を失い、機械の体に脳だけを移植した少佐は自分というものに不安を抱くわけです。脳にある記憶だけが自分を自分たらしめているのか? 魂は? ゴースト(?)は?
記憶など簡単に書き換えることができてしまうような世界でのお話です。この世界では、名前すら意味をなさないのです。少佐も自分のことを「ミラ・キリアン」と名乗っていましたが、本当の名前(草薙素子)は記憶から消されています。(中身は日本人なのに外見が白人だったとしても矛盾はしていないでしょう。なんせ、ボディーは100%人工物です。)
この映画の中の誰かのセリフで「人は記憶で決まるのではなく、何をするかで決まる」みたいなことを言います。
あなたは本当にあなたで、私は本当に私なのか?
この映画は本当に「ゴースト・イン・ザ・シェル」なのか?
映画のタイトルや記憶(オマージュ)はそっくりなのに、実は全く別物なのではないか……。この映画は「攻殻機動隊」のゴーストを受け継いでいるのか?
おそらく、世界中の人々に酷評されている一番の原因は、そこには「攻殻機動隊」のゴーストが感じられなかったからかもしれません。
「これは別人だ」と思わせてしまったのでしょう。
だから、「攻殻機動隊」を知らない人が観れば普通に面白いSF映画だと思うだけかもしれません。
最近はそういう作品がとても多いですね。昔のアニメ等をリメイクと称し、タイトルだけ拝借して現代風にアレンジして全く違う作品を作ってしまうようなこと。しかし、それらには「ゴースト」が無いんです。ただ、知名度の高いタイトルを使えば商業的に成功しやすいという腹黒い計算しかないのです。
それよりも、ゴーストは受け継ぎつつも、新しい世代の独創性の高い作品を作り出そうとする志こそ必要だと思います。ゴーストの無い機械のボディーだけがアップグレードされた作品などいくら作っても意味はないと思います。
この世界では「ゴースト」とかいうちょっとわかりづらい用語を使っていますが、単純に「魂」という言葉で置き換えても良いと思います。
人はなぜ生きるのか? それは、魂を受け継ぐためです。魂を次の世代に伝えることで、肉体は滅んでも永遠に生き続けることができるのです。
そういう考え方ができないから「人は死んだら終わり」みたいな考え方にとらわれ不老不死を求めてしまうのです。
人は死にません。老いは生きた証です。
あなたは、ゴーストを感じていますか?