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「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を観ました

2018-07-30 00:54:24 | エンタメ

映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」をBDで観ました。約2時間半の長編です。

最初は英語・字幕なしで観ていたのですが、あまりにも意味不明で1時間くらいで飽きてしまいました。意味が分からないと面白くないのです。

そこで、2回目は日本語吹き替えで最後まで観ました。しかし、日本語なのにほとんど意味不明でした。難しすぎる。

ほぼ最初のシーンで町が破壊されたりしているのですが、もういきなり何が何だかさっぱりです。ほとんど説明がありません。後になって知ったのですが、どうやらこれ、前作の「マン・オブ・スティール」の戦闘シーンだったみたいです。「マン・オブ・スティール」はまだ観ていないので何が起こっているのかわかるはずもありません。

ただでさえ分かりにくいストーリーなので、せめて「マン・オブ・スティール」は観ておくべきだったかもしれません。

それで、結局のところ、面白かったのか面白くなかったのかというと、かなり面白かったと思います。

よくわからない所は多かったし、意味が分かってもなんか変だなと思うところもいくつかあって、どう評価すべきかも微妙な感じの映画でしたが、伝えようとしていることはなんとなくわかりました。

劇中でこんなセリフがありました。

「善と悪の定義とは、民主主義において、善は対話であり一方的決断ではありません。」

議員と思われる女性のセリフで、それに応じてスーパーマンが議会に召喚されてやってきます。なんか、正義のヒーローが市民から非難を受けているのです。おそらく、「一方的決断」で人助けをしているスーパーマンのやり方が気に入らないということなのでしょう。

スーパーマンは正義(善)か悪かというようなテーマですね。スーパーマンに悪意があるわけではなく、純粋な気持ちで人助けをしているのですが、それによって苦しんでいる人たちもいるわけです。

悪役のレックス・ルーサーもスーパーマンを「悪」と認識しています。彼は悪意の塊のような人間ですが、そんな彼でもスーパーマンを悪とみなすことで自分は正義だとでも言いたげです。ある意味では、彼は人類の代表として悪者であるスーパーマンを懲らしめようとしているわけです。その点では立場的にはバットマンに近いとも言えます。

バットマンはというと、やはりスーパーマンのやり方が気に食わないと思っており、彼は彼なりの正義を貫こうとしていますが、それはとても汚いやり方で、まるで悪人です。正義を執行しているようでいて、やっていることはレックスルーサーと同じです。でも、そうしなければ守られない正義もある。それがバットマンの信念です。その後ろめたさがスーパーマンへの憎しみにつながっている可能性もありますね。

観客は何が正義なのか悪なのかわからなくなって混乱してくるでしょう。まさにタイトルにある「ジャスティスの誕生(Dawn of Justice)」が重要なテーマであることがわかります。

すったもんだの挙句に最後にはジャスティス(正義)が明確になるのではないかと期待するかもしれません。でも、最後まで観ても、正義って何なのかよくわからないままなのではないでしょうか。

彼らの正義って、母親(マーサ)を救うこと? まあ、それも大事ですけどね。それは彼らの内面の問題であって、世間一般の人たちにとってはどうでもいい事です。

答えは、この映画が出すのではなく、観客自身が考えて出さなければならないのではないでしょうか。

この映画は無理に理解しようとする必要はないと思います。理解するのではなく、自分で考える機会を与えられているとでも思ってください。

今の世の中、「正義」の定義が大きく揺らいでいます。それを振りかざすことは迷惑だとすら思う人が増えています。むしろ、「正義」こそ「悪」だという価値観が浸透し始めているくらいです。

女性議員の「善は対話」というスピーチに応じて議会に立つスーパーマン。正義の象徴だったはずの彼が、お前の力は悪だと非難されているのです。それを見て「当然だ」と思った人もいるかもしれません。つまり、彼を地上に引きずりおろしたのは他でもない、観客である我々なのです。正義なんか迷惑だと思っている我々なんですよ。

でも、そういうあなた方も、自分たちの行動が常に対話に基づいているかというと、現実にはそうではないことの方が多かったりするでしょう。自分にとって都合が悪い事については「一方的決断」で片づけてしまうこともあるはずです。

例えば、SNS 等でよく見かける行為として、ちょっと気に入らないことがあると衝動的に相手をブロックしてしまうようなことがあるでしょう。それは、対話なき一方的決断であり、ただの暴力でしかありません。自分にとってはそれが正義だと思っているのです。そういうやり方はバットマンの正義に近いかもしれませんね。私は、そういうやり方は最悪だと思っていますが。

結局、今の人たちだって「正義を振りかざすな」と偉そうなことを主張しつつも、自分なりの正義を貫こうとしているにすぎません。みんながみんな、自分の主張を押し通したいと思っているだけで、本当の正義なんてどこにもない。失われてしまったんです。

だから、「正義の誕生」が必要とされるのではないでしょうか。

「正義」という言葉にとらわれて多くの人が勘違いしていることがあります。

それは、「正義」とは「善」ではないということです。

タロットカードのⅩⅠ 正義を見てください。

タロットカード: 正義

裁きの女神が天秤を持っています。

それは、善であろうと悪であろうと「公平、公正」に裁くということです。

主観的に善だの悪だのと主張したところで、そこには正義はありません。

状況を俯瞰し、客観的な視点で善も悪もひっくるめて公平に裁く。

それが、我々が見出すべき真の「正義 Justice」なのではないでしょうか。

今の人たちは個人主義に傾倒しすぎてあまりにも主観的にものを考えすぎなんですよ。だから、俯瞰することができなくなって道に迷うのです。

私利私欲を満たすために必死になりすぎです。

自分のためではなく、誰かのために戦うスーパーマン。かっこいいじゃないですか。彼こそヒーローであり、正義であると言ってあげたいですね。

あくまで私個人の持論ですが、自分のための正義(欲望・自己愛)でしかなく、誰かのための正義(慈愛・博愛)こそがだと思っています。多くの人たちは自己愛を正当化することに必死で、本当の「愛」を見失っているように感じています。

かなりの長編で視聴するのも大変ですが、もう一度英語音声でも観直しておきました。何度観ても難解ですけどね。

あと、レックス・ルーサーはかなり引き立っていましたね。彼の存在感のある役柄と演技はなかなか引き込まれるものがあります。

なんか、最後はワンダーウーマンが主役をかっさらっていきますが、それもまた何かを象徴してると思いませんか?

そう、タロットカードの「ⅩⅠ 正義」に描かれているのも女性です。そして、その女性は「」を持っています。天秤の皿は「」と見なすこともできます。完全に剣と盾を持って戦うワンダーウーマンです。

つまり、正義を産み出す(誕生させる)には女性が必要なんですよ。

バットマンとスーパーマンを和解に導いたのも母親であるマーサでした。女性議員のジューン・フィンチや、スーパーマンの恋人のロイス・レインも重要な役柄でしたよね。

裁きの女神(ワンダーウーマンやマーサ)が持つ天秤の皿の上にはバットマンとスーパーマン(二人のヒーロー=二つの玉=睾丸=精子の暗示)が載せられているようにも見えてきます。女神は精子を受け止める子宮や卵子を暗示しているとも言えます。

この映画の本当の狙いはそこ(女性の活躍)にあったのかもしれませんね。


本編とは関係ないですが、BD の特典映像の最後にある「コウモリを救おう」というのがとても良いのでぜひ観てください。誰かのために何かをしてあげること……それが正義ということでもいいんじゃないですか。


 



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1 コメント

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あとで気づいたこと (アポロ)
2018-07-30 15:29:51
スーパーマンの父親役がケビン・コスナーだったとか、レックス・ルーサーのそばにいた女性が綺麗だなとか思ってたら実は日本人のTAOさんだったとか、観ているときには全然気づかなくて後から気づいて驚かされることがいくつもあった。いろいろありすぎて書ききれない。
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