山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
中の君が匂宮と結ばれたことは大君にとって本意ではなかったが、もはや仕方がない。中の君に後朝(きぬぎぬ)の文への返事を書かせ、髪を繕ってやり、結婚三日目の夜は夫婦で餅を食べるしきたりだと聞くと用意するなど、献身を尽くした。その三夜目、匂宮は母の明石中宮に諫められて出発が遅れたが、振り切って宇治に赴き、夜半近くにようやく八の宮邸に着いた。
結婚の成立に、八の宮邸の人々は喜ぶ。大君は胸をなでおろすいっぽう、盛りを過ぎたわが身を思い、薫への気後れを募らせるのだった。
ところがその後、匂宮の来訪は途絶えた。親王である匂宮には立坊(りつぼう:皇太子に立つこと)の可能性もあって、そうそう出歩けない。十月には紅葉狩りを口実に八の宮邸を訪れる計画が失敗し、匂宮は宇治川の対岸まで来ながら帰ってしまう。大君はこの恨みから男性不審に陥って、自分は決して結婚すまいと心に誓い寝込んでしまう。
聞いた薫は見舞いに来るが、それが裏目に出た。薫の従者が八の宮邸の女房に、匂宮と夕霧の六の君の縁談のことを漏らしたのである。伝え聞いた大君は絶望し、父の諫めを破ったことを悔いる。
十一月、多忙な行事をおして薫が宇治を訪れると、大君はすでに危篤となっていた。驚いて親身に看護する薫を、もう大君は拒むこともせず、そのまま豊明節会(とよのあかりのせちえ)の夜に亡くなる。虚(うつ)けたようになり、ただ悲嘆に暮れて宇治で日々を過ごす薫。いっぽう匂宮は、中の君を京に迎える準備を進めていた。
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薫は草食系男子か?
最近の男性たちを評する「草食系男子」という言葉。「源氏物語」宇治十帖の主人公・薫がその典型だという説も耳にする。だが、そうだろうか。著者の考えは「否」だ。そもそも草食系男子とは、名付け親の編集者・深沢真紀氏によれば「恋愛に「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない。「肉」欲に淡々とした」男性のこと。
しかし、薫ファンには申し訳ないが、薫は決して肉欲に淡々としていない。宇治とは別の場所で、しっかり肉食している男子なのだ。その意味で、薫は「草食・肉食使い分け男子」と呼ぶことができよう。
薫が肉食していた相手とは、女房たちである。薫が貴公子として初めて描かれる「匂兵部卿」巻を読めば、薫は万事につけて人に称賛されるために生まれてきたような男だった。だから、たとえかりそめであれ薫が声をかければ、なびかない女はいなかった。しかしそうした女などは所詮遊びの相手だから、薫は適当にあしらうだけだったという。「結婚しよう」とは言ってくれず、本気かどうかも疑わしい。かといって全く冷淡かと言えば、そうでもない。女にとって、なんと中途半端な相手だろうか。
だがその薫が、時々情けをちらつかせてくれる。女たちはそれに惹かれて、薫が母宮(女三の宮)と住む邸にやってきた。「召人(めしうど)」志願のおしかけ女房となったのである。そんな女たちが、薫とのはかない契りを心頼みにしつつ仕えている三条宮。それは薫にとって一種のハーレムだったのではないか。邸にいる限り、肉食の相手には事欠かない。むしろ手に余るほどだっただろう。
しかしそこには肉しかない。出生にまつわる根元的な苦悩をかかえた薫にとっての、別の渇望、すなわち人生の孤独やや不安を払ってくれる何かがない。かくして薫は、肉食では満たされない思いを抱えてさまようことになる。そうして出会ったのが、宇治の姫君たちなのだ。