26. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 3ル 日本統治に感謝していた韓国人 」
「心」なき中韓と「心」ある日本 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 日本を憎む中国・韓国
3ロ 自然を拝む日本人への蔑み
3ハ 「人民」は日本語から借りてきた言葉
3ニ 龍の爪の数が序列
3ホ 「ミラー・イメージ」の罠
3ヘ 天災の国と人災の国
3 ト 日中関係は国内問題
3チ 日台関係の欺瞞
3リ 韓国人の愛国心はまやかし
3ヌ 韓国と台湾の日本統治
3ル 日本統治に感謝していた韓国人
3ヲ 「東亜日報」の慰安婦募集
3ワ 韓国の反日は幼児の甘え
3カ 汚い空気と賄賂と愛人
3ヨ 琉球共和国設立委員会
3タ 封印された天安門事件
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3ル 日本統治に感謝していた韓国人
著者がはじめて訪韓したのは、1965(昭和40)年に、日韓関係が国交を開いた前年だった。ソウルにいた日本人は、商社、テレビ特派員など含め、百人もいなかった。
新潟日報などの地方紙から、韓国について、連載を書くことを依頼され、時事通信社の特派員の肩書を貰って、韓国に入国した。
ソウルは貧しかった。毎日、餓死者が絶えなかった。アメリカ軍基地の残飯を貰ってきて、食堂で部隊(ブテ)チゲと呼ばれて、定番のメニュウとなっていた。
それでも、土間の一杯飲み屋(ポジャンマチヤ)に入って、日本人だと分かると、日本人が珍しかったから、居合わせた客が、懐かしがって、日本語で争うように話しかけて、マッコリ(白く濁ったドブロク)を、奢ってくれた。
韓国では、戒厳令が敷かれていて、午前零時以降の外出が、禁止されていた。カメラマンのR氏によって、郊外の家に夜に招かれ、帰りに表通りまで送ってくれたが、タクシーがもう来なかったので、都心に向かうバスに乗った。
R氏が、女子車掌に「日本人だから」といって、ホテルの名を告げて、近くで降ろすように頼んだ。バスには、女子車掌が前とうしろに、二人乗っていた。
バスは、ほぼ、満員だった。著者が日本人だと分かると、つぎつぎと握手を求められた。
一人が、日本の童謡を口ずさんだところ、都心に近づくうちに、十二、三人が、日本の歌を合唱してくれた。
その後、韓国に仕事で、足繁く通った。首相から、閣僚や、新聞社のオーナー、大学総長、ジャーナリストなど、多くの親しい友人を持った。韓国を訪れるたびに、温かく歓迎してくれた。今日、反日を国是とする国家になってしまっているが、当時の韓国を知る者にとって、信じられないことだ。
もし、韓国民が日本統治を、深く恨んでいるとするならば、日本統治時代が遠のいて、記憶が薄れるにつれて、今日のように反日感情が強まることは、ありえないはずだ。
著者だけでなく、あのころの韓国を知っている人々なら、狐につままれたような思いに、とらわれるはずだ。
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長