6. 死者を偲ぶ恋の歌 和泉式部の恋の歌
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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敦道親王亡きのち自邸に戻った式部は魂のぬけがらのような日々を送っていたのであろう。「和泉式部続集」でみると、寛弘四年(1007)十一月二日の宮の四十九日以降に大量の挽歌を残している。宮への偲び歌だが、それはもう相見ることのない人への恋の歌でもある。
師走の晦(みそか)の夜
亡き人の来る夜ときけど君もなしわが住む里やたまなきの里
なほあまにやなりなまし、と思いたつも
すてはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我が身と思へば
思ひきやありて忘れぬおのが身を君がかたみになさむものとは
宮が亡くなった年の師走、大晦の夜の歌だ。大晦はいまの節分がそれに当る。節分は年が行き、年が来る境目の夜で、こんな時に「なき人」の魂が帰ってくるといわれていた。今日では節分に鬼が来るといって豆つぶてを打つが、昔は祖霊が族の繁栄を祈って祝福にやってきたり、親しい死者の魂が、懐かしんでくれる人のもとに帰って来たりすると考えられていた。ここでは、宮の魂が帰って来る夜ときくが、宮のけはいも感じられなかったことを悲しんで、ありし日に待ち明かした宵のことなどを回想しているのであろう。「わが住む里やたまなきの里」という下句に愛艶な情がにじんでいる。
次の歌の詞書には、「尼」になってしまおうか、という心迷いがあったことがわかる。しかし、結果として尼にはならなかった。その理由がこの二首にうたわれている。思いつめて得た理由が卓抜で、アイデアといってしまってはいけないが、着想が面白い。「尼になってこの人生を捨ててしまおう」と思う、しかし、よくよく思ってみると、そんなことを考えること自体が悲しいことだ。なぜなら、わが身こそが、一番「君に馴れ」親しんだ形見なのだという。「君がかたみ」であるからにはみだりにかたちを変えるわけにはいかないはずである。宮の傍らにあった時と変わらぬ自分の姿に、宮を偲ぶのが形見の役割であろうという決着である。
(以下略)
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」