12-後半.紫式部の育った環境 父の転進 (紫式部ひとり語り)
山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集
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父の転進 つづき
官人は、みな朝廷から位を授けられている。だがその中で貴族と呼ばれるのは、位が五位以上である者だけだ。貴族には多くの特権が与えられており、その最大のものに、親の位によって子の初任の位が決まる「蔭位(おんい:律令制体制のなかで、高位者の子孫を父祖である高位者の位階に応じて一定以上の位階に叙位する制度)」の制度がある。
つまり、高い位の父の子は最初から高い位で勤め始めることができるのだ。役所で実際にあたる仕事はその位によって決められるから、高官の子は若くして労も無く、少将だとか侍従だとかいった華やかな官職を得る。そのようにできているのだ。
まさに虎の威を借る狐だ。おかしいではないか。能力もない若者を、背後に権力者が付いているからといって世が偏重するするとは、またその若者とて、自己を磨く下積みという時間を奪われている点、実は不幸ではないか。私は、光源氏にその制度を批判させた。
「高き家の子として、官爵(つかさかうぶり)心にかなひ、世の中盛りにおごり馴(な)らひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵(くわんさく)にのぼりぬれば、時に従う世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、気色取りつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえてやむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ち遅れて、世衰ふる末には、人に軽め侮らるるに、掛り所なきことになむはべる。」
[「名門の子だからといって、位も役職も思いのまま、世の栄華にいい気になって慣れてしまうと、学問などで苦労することなど遠い世界のことと思うようになってしまうでしょう。遊んでばかりで意のままの出世を遂げてしまえばどうでしょう。時流におもねる世間は、内心は下を出しながら表ではおべっかを使い、顔色を窺いつつ接してくれます。そのあいだはなんとなく一人前とも思われてなかなかのものでしょうが、時が移り後ろ盾も死んで落ち目になると軽く見られて、もうどこもすがる所がないことになってしまいますよ。」]
(「源氏物語」「少女」)
こうして光源氏の皇子は、大学という修養の場に進む。きちんとした基礎学力あってこその実務なのだから、学問はもっと尊重されるべきだ。実際の世の中がそうでないというのが納得できない。私は、せめて私の「源氏の物語」では筋をとおしかったのだ。
さて、起家の文人として登場するのは、その光源氏の息子の家庭教師だ。光源氏に見込まれて、大学入試に向けてつききりで息子を指導する。その成果あって、入試直前、光源氏らを前にした模擬試験で、息子は上々の出来を見せる。光源氏の感涙を見て、家庭教師は面目ありと胸を張り、褒美の酒を受ける。その様子はこうだ。
いたう酔ひ痴れてをる顔つき、いと痩せ瘦せなり。世のひがものにて、才(ざえ)のほどよりは用ひられず、すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じ得るところありて、この君の御徳にたちまちに身を変へたると思へば、まして行く先は並ぶ人なきおぼえにぞあらむかし。
[すっかり酔っぱらった顔つきは、痩せこけている。たいそうな偏屈者で、学才の割には仕事に恵まれず、ひがんで貧しい暮らしをしていたのだが、見所があると光源氏様が抜擢され、こうして特別に召しだされたのだ。身に余る待遇を頂戴し、この光源氏様のお子君のお蔭でたちまち変身したという訳だ。まして今後は、世から漢学の第一人者と仰がれてやってゆくにちがいない。]
(「源氏物語」「少女」)
「源氏の物語」では、起家の文人も能力が認められる。また、光源氏を皮切りにやがて大学再評価の動きが起こり、博士も起家も世に用いられて、人材登用・適材適所の良き時代が訪れる。
だが、これは私の作り話だ。現実は夢物語のようにうまくいくはずがなくて、父の官途は茨の道だった。
つづく