抗原検査と云うのは、陽性に限っては、PCR検査と同等の信頼性を持つらしい。
大腸癌の便潜血検査で陰性に限って、精密検査の必要が無いのと似ている。
思った通り、あの新聞記事は、総てを伝え切れて居なかった。そんな気もしたのにその記事に基づいてログを綴ってしまった。単なる記者の個人攻撃をしてしまったのである。恥ずかしい限りである。
反省して止めてしまえば良いのに今又生半可な知識に基づいてこうして、先走った事を綴って居る、困ったものである。
PCR検査はいまだに、患者や医師の要求に応え切れて居ないらしい。つい先日もTVで大学の先生が、大学の研究室や病院を使えば今の何倍もの数をこなせるのに、と嘆いて居られた。そして言外には縦割り行政の弊害を、匂わせて居られた。詰まり保健所とその下の帰国者・接触者相談センターが厚労省の下にあるのに対して、大学などを管轄するのは文科省であり、目詰まりはこの間で起きているのだと、言いたそうであった。成程、「武士は食わねど高楊枝、幾ら困ってもひとの施し等受けられるものか」という無用のプライドが、官庁というものの集団的遺伝情報にしぶとく生き残って居るという訳か。
石川県では、治癒を証する2回のPCR検査は、大学病院に依頼するらしい。全く頼まないよりは良いが、それでも罹患の時点での判定はセンターだけがするのである。新型コロナウィルスに係る対応に就いての緊急事態大臣会合は既に10回以上開かれている。安倍さんは先述の大学教授同様の提案を、山中伸弥さんから直接受けているのも良く知られた事である。それでも事態は動かない。行政の縦割り状態は、死後の様な硬直を見せているのか。
最近はあちこちの国で政治面でも経済面でも排他的国粋主義が蔓延り、この新型ウィルス騒動によってそれに拍車が掛けられて居る。これを扱った番組に出ていた爆笑問題の太田さんが、「三密を避けよう避けようと言われる今、せめて心は三密にしたいね」成程。物心のバランスは大切である。個人に於いては、気力が充実していて肉体が病んで居ても、肉体が健康で気力が萎えて居ても、満足な活動は出来ない。心身の健全なバランスが必要である。複数の個人間に於いても、物的距離は置かざるを得ないなら、心的距離は詰めた方が良いかも知れない。政治も経済も、人間の活動であるからには、同様であろう。官庁同士では心的距離に於ける硬性と軟性の、バランスの取れた両用が必要であろう。