無観客は在り得ない。観客を集められないような状態では、選手も集められまい。
準備に今も費やして居る時間や金を思えば、中止する訳にも行くまい。
と為れば延期しか無い。
途方も無い金や手間の掛かる事は素人目にも解るが、一挙に一人で何もかも遣る訳では無い。
土壇場でマラソンを札幌へと持って行く事も出来たのである。
同じ様に、総てを虱潰しに解決して行く事である。
想像を絶する困難を乗り越えて達成した暁の充実感は、如何ばかりかと無責任に思う。
無責任ではあるが併し「憂き事のなほこの上に積れかし 限りある身の力ためさん」これが吾人の古来の心意気であろ
う。
乗り掛かった舟でもある。
下りない覚悟は、誘致を決めた時に出来て居た筈と、思う者も世界には多かろう。
無論一年でも二年でも、延ばせばその間に、衰える者も伸びる者も在ろう。
折角選んだ選手ではあるが、選び直す事が必要に為る。
改めて選手を選ぼうとすれば、人も物も動く事に為る。
今年の新型コロナ自粛で落ち込んだ分が、来年補われると云う様な事に為るかも知れない。
オリパラに出ようかと云う位の人は、何年も前から其処を見据えて居る様である。
詰まり其の時既に勝負は始まって居るのである。そして勝負は時の運である。
第二次世界大戦に泣いた選手も、モスクワ大会ボイコットで泣いた選手も大勢居る。
私等もモスクワ大会ボイコット騒動は、リアルタイムで見て居た。山下さん達の涙を見た。
当時は辛かったろうが、今もそれぞれの世界で活躍している人が多い様である。
時薬(ときぐすり)という言葉がある。
あの涙を乾かしたのも時である。
今年は出られそうに無い池江璃花子さんや、成果の危ぶまれる桃田さん等を、回復させるのも又、時である。
誰にとっても、勝敗は時の運である。
今年無事に行なわれるか否かも又そうである。