独白

全くの独白

総理の「先決問題要求の虚偽」

2017-03-25 16:20:10 | 日記
昭恵夫人の証人喚問を求める野党に、首相は「妻の行為は犯罪では全く無いのに、証人喚問というのはおかしいのではないか」と答えていた。
「先決問題要求の虚偽」の見本のような返答である。「論点先取の虚偽」の一種であり、そう言った方が解り易いかも知れない。
要するにこれから出そうとしている結論を、先に出してしまっている訳であり、行き着く先は堂々巡りしかない。
そして無論、それは客観的な根拠の無い独善的な結論であって、誰をも説得出来るようなものではない。
剰え言い張っているのは当人ですらない、配偶者なのである。詰まりこの結論には、主観的根拠すらありはしない。
斯かる非論理的強引さは焼け糞に成った餓鬼大将宛らであり、不当に増長しているとの誹りを、又その不自然さが却って隠された臭い物の存在への疑念を、野党のみならず誰の胸にも惹起したに違いない。
こんな強弁で済むなら警察も法廷も、要りはしないのである。
第一彼の言葉に従えば、出て来た証人は総て罪人であるという事に成ってしまう。この点でもこの答弁は、支離滅裂である。
後ろめたい処は無いのであろうから、証人喚問にでも何にでも応じるが良かろう。
どうしても厭なら、参考人として「招致」すれば良い。
それすら拒むと言うなら、何か在ると思ってくれと言って居るようなものである。
彼の支持者も松井知事のように「こちらから出て行きたいが、呼んでくれないので・・」位の事を言って貰いたいと、もどかしがっている事であろう。
非支持者なら、今迄に明らかになっている事以外にも、もっとまずい事を隠して居るのかも知れないと、既に思っている筈である。
此処迄来たら出て来るしかないと思われるが、強いて出ない理由を探れば「忙しい民間人が、貴重な時間をそんな事に 費やして居られるか」と言うのが思い浮かべられ、そうだとすればちょっと共感できるが、それでは候補でしかない段階で招集されてしまう裁判員の浮かぶ瀬が無い。
況して昭恵夫人と言う民間人には、役人である配下が付いて居るのであるから、宜しく忖度して戴きたいものである。
そして勝敗は時の運、昭恵さんの武運拙く、芳しからざる決着を見る事に成ってしまった暁には、安倍氏にも二枚舌を使うこと無く、腹を括って貰わねばなるまい。抑そのような危ない丸木橋を渡る事もあろうとは、政治家を志した時に覚悟したのでは無かったのか。
斯様にどこからどう考えても、喚問か招致に応じるしか道の無い事は誰の目にも明らかであるし、他ならぬ彼自身にも、本来なら見える筈である。
それなのに見えないのは、渦潮の真っ只中を懸命に泳いでいるからか、であるとすればその渦は清らかに澄んだものであろうか、或いは、どす黒く濁ったものなのであろうか。
こんな疑いを持たれるのも逃避しているが故であり、此の儘では彼の武名が、潔さに欠けていた侍としてのものと成ってしまう事を、武士道好きとの噂のある彼の為に、憂えるものである。

天皇退位問題の決着

2017-03-21 14:17:33 | 日記
「大山鳴動して鼠一匹」であった。
違憲の恐れがあるから、という事で始まった騒動が、何ヶ月も掛けて擦った揉んだした挙句に、体裁を整えただけの実質的には違憲の、特例法の成立と執行と言う決着を見る事に成りそうである。
而も代替わりのたびに今後とも此の空騒ぎは繰り返される事に成ろう。
何せ今回は「特例」なのであり、その特例法自体だか、特例法と一体である典範の附則だかに、今回の騒動の経緯を克明に記した上で、「こうした法整備が将来の前例に成り得る」様に設えるのだそうであるから、今後も「退位」したいと思った方は今回同様の、又は幾分違った形での意思の表明が必要とされる筈である。そして御表明が在ったからには余程の方で無い限り、又も国民の共感の下に今回同様の空騒ぎが繰り広げられる事に成るのであろう。
無論一応の道は出来たので今回よりは静かであろうが、抑その出来上がったものが実質的違憲への道である上に、次以降には恐らく今回の関係者は既に今の役職に就いては居まいから、本当に此の遣り方で良いのかとの意見が改めて出て来る筈で、殆ど今回の議論の蒸し返しのような事態が出来するに違い無いのである。挙句に又しても実質的違憲の決着を見る事に成るので在ろう。
このように御座成りで体裁を取り繕うだけの遣り方で良ければいっそ皇室典範に、「継承に就いては皇室に委ね、揉めたり強制の動きが見られたりと言った問題の在った場合にだけ皇室会議を開く事にする」と言うような条文を捩じ込めば、少なくとも毎回の空騒ぎだけは避けられそうである。
尤も私は、このような個別具体的な問題への容喙をしたいのでは無い。
私は日本国民であり、自ら選挙に出る気も無いので、投票した時点で国会議員に立法の事は委ねてしまっている。
それなのにその肝腎の選良や我が国の誇る官僚諸氏や有識者等が寄ってたかって出した結論がこのようなものでは、愚痴位零したくなる。
勿論この問題が一筋縄で絡め捕えられる様なものでない事は、専門家の間でも幾つもの見解がある事に鑑みても知れる。
抑の原因の一つはこの問題の大きな因子である憲法が、GHQの管制下で創られたものである事である。(大体武力に関する事等に就いても見られる通り辻褄の合わない所だらけで、文体が破綻してしまっている。如何にも直訳的であり、翻訳を重視し過ぎた結果と言えよう)
結果として従来の天皇の属性の一つである「日本を統合する力の象徴」の中の「力」を天皇から切り離してしまいたいGHQの画策に依り、その事が憲法の条文にも明示され(そこに明示された天皇の地位の意味の解り難さに、それが外国人の無理強いに依る条文である事は暗示されてしまっている)、皇室典範も新たなものが作られ、天皇や皇族は、法で雁字搦めにされてしまったのである。尤も皇室典範自体に、新旧で然して違うところは無い。
但し旧憲法は欽定されたものであり、詰まる所践祚問題に就いても皇室典範に就いても、個としての天皇自身の意志に則っている訳であって、無理は生じ得ない筈である。併し本来、法の対象たり得るのは、抽象的総体であって、神でも人でも、苟も個たるものを、完全に法の支配下に置く事等できる筈は無いのである。
因みに被雇用者などに於ける職務上の言動や動向は、直接には被強制に拠っているように見えて実は当人の積極的に結んだ契約に依るものであり、法的強制等に依るものでない事は言を俟たない。隣の伊藤さんを、完全に法で支配しようと思ったら、特例法にでも頼るしか在るまい。特例法の存在意義はそのような処に在るのみで、違憲行為の免罪符と成り得る様なものではあるまい。
更に例えば「大統領」は役職でも「天皇」は違う、役職に就いての規定と同様に、一から十迄取り決めてしまおうと言う遣り方に無理の在るのは当然である。
従って天皇退位問題に限れば憲法を改正して、皇位継承に就いては、「意志に依ってであれ体調に依ってであれ御随意に、御自身と御身内で、良きに御計らい戴く」という事にするのが最良の方法であろうが、それは今のところ止めて置いた方が良かろう。
改正しようとすれば序でに触れざるべき処の改定をも図る輩が居るからである。
特に九条辺りに手を入れるのが考え物である事は、南スーダンの日報問題での内地の幹部の独断専行に鑑みれば明らかである。
憲法に就いての私の夢は、国が本格的に改定を図る前に、政界に打って出る事に等興味の無い、本物の学問好きの憲法学者が、「これでどうだ」と言うような草案を出してくれる事である。それ迄は文章の破綻に目を瞑っても、恣意的解釈とそれに続く暴走を許容する曖昧さのある条文に依る、今以上の憲法への侵食を許さざるべく心を砕く事が必須であろう。
いつそんな日が来るのであろうか。ま、此の世の事物は万事が仕掛品、死ぬ迄そんな日は来ないにせよ、気長に待つしかあるまい。
私は若い頃馬鹿げて極端な事を本気で考えていた。同じ人間であれば能力にも体力にも然程の差などありはせず、自分も本気に為りさえすれば出来ぬ事等無いと思っていた。高い所から飛び降りれば、直後には死んでしまうにせよ、其れまでは空を飛んだ事に成るではないか等と半ば本気で思っていた。
時間の力も無視していて、自身を含む万人のそうした無限の力は死ぬ迄変わらないとも思って居たものである。
だが爾後、桁違いの天才や、努力の長期間の積み重ねに依り天才的能力を身に付けた人達に就いての見聞を重ねるに連れて、人間同士の間に厳然として在る差異を認めざるを得ない様に成ったのは言う迄もない。
併し今回の騒動を見ると、矢張り嘗ての考え通り、特別に優れた人間等世の中に在りはしないのだと、思わざるを得ないのである。
換言すれば、如何に優れた者が人間の中にいたところで、人間の世界自体を含めた、吾人を囲繞する魑魅魍魎のように複雑怪奇な事態や環境に適切に対処する能力に於いては凡人と、五十歩百歩に過ぎないという事である。
因に、別段こんな事を考えるべき立場に居る訳でも無い私が、かかずらってしまって泥沼から這い上がれずに居るのは偏に、此の現世の煩雑極まる態様との、脳裡での格闘を面白く思うが故に過ぎない。

交通安全

2017-03-15 15:29:37 | 日記
もうすぐ小学校にも新入生が入ってくる。春の交通安全運動もあり、交通安全教育もあろう。
道を渡る時には「右、左、右」と見て渉れと教えると思う、私の子供の頃はそうであった。
最初に右を見るのは、最初に出会う車が日本では右からのもので在るからであろう。最後に再び右を見るのは、見落としを避ける為と、横の小路や敷地から、最初には居なかった車や自転車が、これから渡ろうとして居る道に出て来てこちらに向かって来ていないか否かを確かめる為であろう。
それに似てちょっと違う理由が、もうひとつ在ると私は思う。最初から見えていた車が二度目にどの辺りまで来ているか、つまり一度目と二度目との時間的懸隔の間に、その車がどれ位近付いたかを、即ちその車の速度を見極める事である。
一度目に一キロ離れて居ても、飛行機程のスピードなら二度目にはすぐ傍迄来ている事であろう、当然渡り始めてはいけない。
人格は三歳で出来上がってしまうとの説もある、子供等にと侮ってはいけない。頭ごなしにではなく、説得力のある教え方をすべきで在り、理解できない事の身に着く筈は無く、理解さえすれば容易く身に付けられる点で、大人と変わる所は無かろう。
「こうしろ」と共に「何故そうしなければならないのか」を必ず懇ろに教え諭すべきで、自身の小学生の砌を省みれば明らかである。
この「右左右」は、車に於いても重要で私には苦い記憶がある。
大通りを走って居ると、前方の駐車場から出てきた車の後部に衝突してしまった。
面白く無いのはこの最後の姿だけを見て「追突」と称する在りようで在る。
ニュース番組等でも路肩に最初から停まっていた車に衝突した事故を「追突事故」と称している。
私の解釈では「追突」とは、前後に併走していて前のものにした、後ろのものの衝突である。私の事故でも、少しタイミングが違っていれば私は相手の横にぶつけていたかも知れないし、どうかすれば相手が私の横に突っ込んでいたかも知れないのである。
こういう場合不快なのは横から出て来た者が大概「ちゃんと見て出た」と警官等に言う処である。
「ちゃんと見た」のなら出て来た筈は無く、衝突した筈も無いのである。
彼の「見た」のはこちらの姿でしか無く、スピードは「見て居なかった(眼中に無かった)」のである。
この時私は確かに速度違反をしていた。もう少し低速であれば、寸前で止まれたかも知れない。併しそもそも彼がその「速度違反」を然るべく見極めていたら、何事もこの日此の時起こりはしなかったのである。違反をしている車となら衝突しても構わないと言う事には成るまい。
彼は最初に私の車との間の距離だけを見て、干渉する事は在り得ないと迂闊にも判断してしまったのである。彼の言い分を聞くならば、「相手が非常識なスピードを出していた」と言う事に成ろう。
併しそういう彼の「常識」が真に普遍的な「常識」である保障などどこにも無い。事故は故意に起こす場合を除いて当事者の誰にとっても良いところの無い不仕合わせである。合わない為起こさない為には決して自己を過信する事なく、慎重の上にも慎重を期して、すべき事を確実に実行することである。

人間存在の危うさ(私設ツウィッター#9)

2017-03-12 15:19:27 | 日記
* 人間存在の不安定さをつくづく思う。
「天才と狂人は紙一重」と云う。実際のめり込み過ぎて発狂してしまう文士や芸術家はいる。
生死も紙一重である。
能登で高校生が殺害された。夕方、学校からの帰りに近くのバス停で母親に電話し、車で迎えに来てくれるのを待って居る時に攫われたらしい。
バスの来る時刻を知らなかったので停留所迄出たのかも知れない。その時刻を知っていて、学校で電話して待っていれば、犯人に会う事も無く、無事であったかも知れない。
犯人はその後、通り掛かった車に飛び込んで死んだらしい。死なせた方にとっては迷惑千万で、そんな事が無ければごく穏やかな日常生活が続いて居たのにぶち壊しにされてしまった。これも又紙一重の事態である。
最期まで周囲に迷惑を掛け通した男であったが、死ねば仏である。

* 大地震や大津波でも、多くの人が生死を分けた。
犠牲者の中には善人も悪党もいた筈である。難を逃れた人の中にも善人と悪党とが居る事であろう。
避難所でも、只管周囲に感謝し、不便さに耐え忍ぶ人がいる一方で、些細な事でトラブルを起こす人もいる様である。
「神も仏も無いものか」と言いたく成るが、どんな教えに於ける神でも、その裁きの基準は人間とまるで違うようである。
何にせよ死ねば仏である。

* 台所に立っていると、ニュース番組の声が聞こえて来た。大臣か何かが、止せば良いのに「故郷を捨てるのは簡単だが、飽く迄住み続けて復興に尽力する事が大切である」というような事を言っている。泣く泣く故郷を離れた人達への思い遣りに欠けていると、𠮟られても仕様が無い。
食物なら吐き出しても、我慢できさえするなら又口に入れ飲み込んでしまう事ができる。どうしても我慢できないなら捨ててしまう手もある。併し言葉は、一旦吐いたが最後忽ち魂を宿し独り立ちしてどんどん遠ざかってしまい、呼べど叫べど戻ってくる事は無い。
吐く言葉を選ぶに当たっては慎重の上にも慎重であるべきで、どんなに慎重でも慎重過ぎるという事は無い。
尤も吾人にすれば「何と軽はずみな」と思うが、あのような立場の人は喋るのが仕事、発する言葉の数は一般人のそれと比べ物に成るまい。
行き届かないのも、宜なる哉。
併しその僅かな不行き届きに依って、場合に依っては首が飛ぶのであるから、ここにも紙一重の事態がある。
眞に人間存在は、薄氷を踏む様なものである。

 

北朝鮮からのミサイル(私設ツウィッター#8)

2017-03-10 15:01:59 | 日記
* 朝、いつもの様に海辺を走って来た、猫の目天気なので雨具を背負って。
家を出て500m海の方へ向かい、階段を上ると防波堤、そこには名前だけの「歩行者自転車専用道」がある。
実際には猿の運転する自動車が、結構通るのである。
一々顔は見ないが、入り口には「進入禁止」との札が有るから人間なら入っては来まい。
自動車を動かせるような器用な動物、猿と思えば当たって居よう。
今日は右へ向かう、左下には砂浜を隔てて汀、右側には三mの高さの斜面がある。詰まりこの防波堤は二段に成っている。
例年の冬は左の浜から吹き上げられる砂が、厚くこの道に積もり右の斜面にも吹き付けられて、斜面が緩やかになって三mを上れる様になってしまって居るが、今年は僅かに積もっているばかり、詰まり穏やかな冬であった事を物語っている。

* 狭い歩道を塞いで歩く老夫婦らしい人達をよく見る。無論若い人達にも居るが、中年以降の方が多い。足音というのは意外に大きいものであるが、そういう人達はすぐ後ろ迄近付かれても道を開けない事が多い。耳が遠いのならば頻繁に振り向いて見るが良かろう、私ならばそうする。
本意はどうであれ結果は傍若無人に見えてしまう。機嫌の悪い時は心中で「少しは人の事を考えろ」と思ってしまう。北朝鮮の金もこういう手合いなのかも知れない。

* 二月末に、家から海の方角へ走って居ると、海からは結構離れた所の路傍に車が止められている。
サーファー等ならもう少し近くに停めるか、進入禁止の所に乗り入れる。この車は、良く言えば遠慮がちに悪く言えば人目を避けるように止められている。防波堤の上の道を走り乍ら人影を探す、あの車の持ち主が居る筈である。稍在ってそれらしきを見つけた。汀を離れ、防波堤にへばり付く様な場所に居るので最初は見えなかったのである。この辺りで人に遭う事は多いが、大概手ぶらである。
老人は散歩、若手は走っている。持って居ても水位の物、他には釣師が釣り竿、サーファーならボードを持っている位で、あとは偶に弓矢と的を持って来て稽古する人を見る事があるばかりである。
若いサーファーなら自らの雄姿を撮影して居たりしても良さそうなものであるが見掛けない、私物の機械を潮風に当てたくないのだとすればその気持ちは解る。
ところが此の日の男は、胸の前に何かを持っている。私の視点は、男の斜め後ろの五m程高い所なので、それが平らに保たれているのが解る。三分の一程しか見えず良くも見えないが、PCにしては蓋が無く、タブレットにしては大き過ぎる様で、何より質感がちょっと違う。
ソーラーパネルに似ている。彼はそれを見詰めている様子である。ここでこんな光景を見るのは初めてである。沖に海洋土木用の船でもいるなら不審は無いが、居ない、第一それなら車は近く迄乗り入れる筈である。
この辺りは北朝鮮などのスパイ騒ぎが、他の所に比べれば多いのでどうしても疑って見ざるを得ない。
目の前の此の海にミサイルが撃ち込まれたのは、此の数日後である。
もう一度こういう胡乱な光景を目にしたら、その後の数日間ミサイルが飛んで来ないか注意して居る事にしよう。そして飛んできた上に、その次に又同じ様子を見た時には、通報して遣ろう。併しどこへ?海の事なら海上保安庁であるが、陸上であり警察か?だが彼が北朝鮮本土と、ソーラーパネルで得た電力を使って通信して居るとしたなら、自衛隊の方が良く在りはしないか?でも自衛隊にこんな通報を受け付ける部署はあるのであろうか?在ったとしても矢張り警察を通じての方が良く在りはしないか?そうだ、矢張り警察にしよう。
実際に此の日本海を目前にし、対岸の脅威に切実に思いを致した事の無い人は、私が空から星の落ちて来る事を恐れる愚か者のように思うかも知れない。しかし実際に星が落ちて来るのが見えてからでは手の打ちようとて無い。笑われても良いから怪しいものを見て通報する位の協力はしようと思う。
間違っても戦争を始めて貰う訳には行かないからである。