今年の台風には、妙な場所で出来るものがある。
六号もそうであり、近くで出来ただけに来るのも早く、厭な感じをさせられたが、その代り発達する距離も時間も、結果として甚大な被害も
無かったのは幸いであった。風速等の数字だけ見ると日本海側等の、冬の低気圧と変わりがない。併し弱くても台風は台風、普通の低気圧と
違って刻々と向きを変えて狂った様に吹く面があるから、油断は出来ない。
六号は出来方同様に滅び方も変わっていて、普通は北上して衰えると温帯低気圧になるのに、奴は何故か熱帯低気圧として去って行った。
ところで曾て船乗りをしていて、台風と急勝(せっかち)な船長のおかげで、死に掛けた事がある。
内地では台風が近付くと、万トン級の船でも湾や港に避難して、遣り過ごすのが定石である。
ところがその時の船長は、本船(この船、私達の船)に乗って来る直前迄南方の三国間輸送の船長をして居り、迂闊にも内地の常識を失念し
て居たらしい。
生まれ立てで非力な南方の台風の印象に囚われて、避難しなかった為に潜水艦状態になってしまったのである。青くなって避難の為に変針し
たが、最寄りの港に向かった為に追い風を受ける事に為ってしまった。追い風は舵が効きにくい。大時化の際の定石は「つかす」と称して、
衝撃を避ける為に低速にした上で斜めに波に向けて航行する(避難場所が無ければ、その状態を保って時化を遣り過ごす)のであるが、相手
は台風、而も逃げ遅れたのである、そんな余裕が無かったのであろう。漸く入港して、アンカーを打つ迄は生きた心地がしなかった。
其れは扨置き矢張り、段々内地が台風生誕地の「南方」と化し、老いた台風も温低から熱低と化して、避難の常識も変わって行くのであろう
か。
気候が変動して馴染の事物と別れるのは寂しいが、幸い日だけはまだ、普く照らしてくれている。
その事や台風の被害の小さくなる事だけは喜ばしいが、いじましく身勝手な喜びであるようにも思われる。