独白

全くの独白

人を馬鹿にした話

2020-01-08 16:31:51 | 日記

プライベートジェットは公共の為の物とは云えまいから、保安検査などは自己責任で遣ってくれれば沢山である。

CIQはそうは行かない。

厳しくやって戴かなければ、麻薬でも金塊でも死体でも天然記念物でも、運び放題である。

年末の騒ぎで、中にゴーンではなくそういう物が入って居たらと思うと腹が立つ。

顔を晒していた搭乗者はグレース・ケリーやオードリー・ヘップバーンといった、一般に好感と共に知悉されていた様な人物では無さそうで

ある。

然れば箱の中を調べなかった理由は、相手がプライベートジェットを使う様な金持ちである事に尽きる、という事に為ろう。

而も日本ではこれが常態であるらしい。

詰まり日本の役人は、貧乏人は信用しては成らないが、金持ちなら信用する事が出来る、との先入主の主であるらしい。

併し麻薬王などは、殆どが金持ちであろう。

この騒動は、そういう悪党連中を大いに喜ばせた事であろう。

何せ勝手に斟酌してくれるのである。賄賂も脅迫も無用で、遣りたい放題である。

尤も斯界では疾うに周知しているからこそ、こんな事に為ったのでもあろうか。

 

 

 


商売敵

2019-12-26 16:27:17 | 日記

私が食糧の買い出しに行く店のカップ麵の話である。

二つのメーカーから、其々の狐饂飩と狸蕎麦を仕入れている。

全部を食べ比べてみたが、味に大差は無い。

メーカーも自覚しているようで、少しずつ量と値段を変えて競争している。

私がメーカーなら、狐蕎麦と狸饂飩も出そう。

売上で相手に勝てると思う。

食堂に在るものが、何故カップ麵には無いのであろうか。

これだけマ-ケティング、マーケティングと云われる時代に、

何故消費者の嗜好を勝手に決め込んで、澄まして居るのであろうか。

政治やマスコミ等の起こす風潮に飲まれ染められ、無意識に庶民を自身の都合の良い様に、操ろうとしているのであろうか。


有罪判決を受けて万歳三唱をした奴

2019-12-23 16:10:26 | 日記

厳しく𠮟責されても、意に介さなかったらしい。当然であろう。予てからの望みが叶ったのである。有頂天に為るなと云う方に無理がある。

そこに入りたがっている者を普通に刑務所に入れた丈では、褒美に為っても罰には為らない。適正に量刑した事には為らないのである。

精神鑑定は無駄である。異常が見付かって措置入院という事に為り、軽快して早目に退院させられる事にでも為れば、被告さえ喜ぶまい。

幸か不幸か死刑制度の有る我が国である。妥当なのは死刑宣告であった。無論死傷者の数等を判例に照らすと、無理が有ったのであろう。

併し判例は飽迄例に過ぎまい。例に例外は付き物である。裁判長も宣告の後の被告を見て、臍を嚙んだに違いない。

今からでも遅くは無い。検察は控訴して死刑を求め、裁判長はそれに応えて死刑を宣するが良かろう。

但し執行はせず自然死を待つべきである。

そうすれば、つい惻隠の情に流され量刑に於いて判例に背いた結果、復讐の念に迎合せざるべしとの、我が国の刑法の精神に悖る事をする仕

儀と為ってしまった司法機関としての、罪滅ぼしにも為ろうというものである。

一方受刑者は、扉の外に足音を聞くたびに縮み上がる事に為ろう。惨過ぎるかも知れない。

併しそれでは、尊い盾と為って亡くなったり、其の御蔭で辛うじて助かりはしたものの、心身に生涯癒えぬかも知れない傷を負った人達の

運命は、惨過ぎるものでは無いのであろうか。

 

 


過て改むるに憚ること勿れ

2019-12-03 17:00:19 | 日記

嘗ては食中りの恐れの無きにしも非ざる物を食べる時に、「気象台」とか「天気予報」とか唱えてからにすると、中らない等と言われていた。

併し爾後徐々に精度は上がり、長期はともかく2~3日位の短期のものは、結構当たる様になって来て居たのに最近は又退行してしまって、食中

毒予防時代を通り越して、当日のものさえ外している。

恰も瞑目して撃つ鉄砲の様で、まるで物の役に立たない。

稠密さを狙い過ぎて、土台を顧慮せず尖塔を伸ばして来た為に、土台も尖塔も倒れてしまった風である。

高みを目指してフォームを改造した為に、まるで駄目になってしまったアスリートを見る様でもある。

浅手で済ますには、早く道を間違えた事に気付いて率直にそれを認め、確かな処迄引き返して出直すが良かろう。

スパコン富岳は気象関係にも使われるらしいが、あんな化け物迄使い出してからでは、引っ張り回される許りで、到底元に戻れまい。

 

 

 


観桜会

2019-11-14 14:46:44 | 日記

被招待者は色々な枠から推薦される様で、その中に議員に割り当てられた枠があっても、一概に悪いとも言えまい。

併し与党議員にしか(どうも、無いらしいが)無かったり、例えば平は三人、総理は千人、等という極端な不公平が在ったりすると問題である。

又招待されるには、各界の代表者で在ったり、功績、功労の在った人で在ったりする事が必要らしい。

後援会員や、身内を招いた議員も在るというが、確かにどちらも、苟も国会議員たるものを、産み育てた功績はある。

併し其れは、誰もが納得する、歴然たる功績とは言い切れまい。

又稀有な事ではあるが真に公明正大な議員であれば、対象が自身に近い程、その人がその他に、もっと輝かしい功績を有していても、

招く事を躊躇おう。

そのような在りようの醸す気品にこそ打たれて吾人は、深く頭を垂れるのである。

無論凡人村長の私等には出来ない事である。