これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

何もない幸せ

2024-01-25 13:32:02 | 日記
今日は用事があり、仕事を休みました。
が、
その用事が無くなり、思いがけずの何もない日になりました。
何もないと言っても、あさは起きて神様へお水やりと感謝をささげ、仏様にお線香とお茶、お水をささげ、ご先祖様へ感謝をささげます。

それから私の日常が始まります。

今日はゆっくり起きましたので、のんびりとしています。

やれなかった家のことをやって、家計簿を書いて、年賀状のお年玉付きの番号を確認。
当たってはいませんでしたが、わくわくさせてもらい感謝。

今日は風が強く、外にはポスト確認して出ただけです。
吹き飛ばされそうです。

便利グッズの御紹介をします。
寒い日はやはりストーブの出番。
灯油の補給は面倒なことの一つ。
それを便利にするグッズを近くのホームセンターで発見しました。
それがこれ。
とっても便利です。

そして、私を元気にしてくれるバラの花。
去年に庭に咲いていたバラのつぼみたち。
寒いので切っておうちに迎え入れました。
ほどなくして、私は娘たちの家にはしごしてお泊りだったので一週間留守にしました。
ふつうなら枯れているはずなのに、帰ってきてみたら、まだ、咲いていたのです。
そしてほどなく一つは花が終わり、ご苦労様ねと言って切りましたが、固いつぼみがそのあとに咲いてくれました。
当然、話しかけ、可愛いと言っていたら、頑張って花を開いてくれたので、癒されています。

なんだか、もったいないお休みでしたが、明日から頑張ろう、そう思える良い日になりました。



なんとまあ、ゆっくりな更新でしょう2

2024-01-14 10:51:32 | 日記
昨年の12月24日に更新して、今日はもう1月の14日です。

12月28日は職場で注文したお寿司を堪能しました。
このお寿司屋さんはもうお店をたたむということで、最後の注文だったそうです。さみしいですね。とてもおいしかったです。

そして、28日の仕事終わりに三女の所へ走って(自動車で)高速1時間半で夕方6時ごろ着き、長女と孫2人と合流しました。

夕飯をいただき、次の日は古民家カフェに行き、ウインドウショッピングしたり、ゲームセンターに行き遊びました。

お料理の写真は撮り忘れました。

そして31日には、東北新幹線に乗り、
到着した東北新幹線は、なんと
なんと、 なんと
ディズニーランド40周年記念新幹線でした。
もう長女も孫2人も大喜び。私もびっくりして、今年のご褒美のような気がしました。
こんなことめったにありませんからね。
長女たちとは上野でサヨナラし、私はそのまま東北新幹線で東京駅へ。
そして東京駅で乗り換えし東海道山陽新幹線で神戸へ。
次女が車で新神戸までお迎えに来てくれました。

元旦には高級おせちが出てきました。

3日間は持ちませんでしたが。おいしかったです。
お酒は頂きませんでした。
娘は授乳中でしたし娘の夫はお酒は頂きません。

そして、近所の神社に。
おみくじを引き、これから一年間の感謝をささげました。(先に感謝を)

娘は産休で11ヶ月の子を育てていました。上の子は小学3年生。
実は娘は、腰が悲鳴を上げていて、私をお迎えに来た31日はぎりぎりで大丈夫の様子でした。
しかし、明日は私がもう家に帰る日(1月3日)となった2日には、治らなくて、病院もやっていないので2日の日に整体院に行ったのですが、だめでした。
だんだんひどくなり、4日の日には娘の夫が病院の当直で夜がいないとのことで、急遽、職場の職員さんに連絡を取り、私が仕事を休みました。
娘が病院に行っている間、小学3年生の孫のスイミングスクールの昇級試験があるため、ついて行き、5日も昇級試験があるため2日間ついていきました。

娘の腰は病院の診察により骨には異常がないとのことで、精神的に楽になり、幾分痛みは楽になったようでした。
心配ではあったのですが、5日の午後には帰宅しました。
5日の午後には娘の夫が当直明けで帰ってくるとのことで、ひとまず安心なので、いつまでもいるわけにいかないため、帰ってきました。

帰りの新幹線から富士山がきれいに見え、得した気分でした。


娘の所にいるときに、能登半島の地震があり、飛行機事故も発生し、大変な今年の幕開けでしたが、暗い気持ちにならないように、平和でいられますように、7日には産土神様にお参りをし、昨日のかかりつけのお医者さんの帰りには、自分にごちそうをあげ、テンションUPしたところです。


さあ、きょうは、心と身体を調整して一年を平和で過ごせますようにと、ゆっくりして、おひとりさまを満喫しています。

最後になりましたが、地震や事故でお亡くなりになられた方々や、被災された方々には、心より、お悔み、お見舞い申し上げます。

これから、どんな事が起ころうとも、気持ちは明るく希望だけは捨てないで生きていきたいと思います。

今年の年末年始には息子とも会えたらいいな。

携帯会社を変えたのだが

2023-12-24 09:33:14 | 日記
携帯会社を変えました。
11月のことです。
やっと、土日で電話とインターネットの工事が完了し、古い機器を以前の携帯会社に返却して終了。

約2か月かかりました。
なるべく安くしようと思ったのですが、料金はたいして変わりません。

27年も継続していた携帯会社でしたが、気持ち的には、すんなりと変更できました。
変更するには以前の携帯会社に何度も電話して、家電をアナログに戻すためNTTにも何回か電話して、とにかく終わるまで気が気ではありませんでした。

年を越す前に終わってよかった。

そして、家電の電話機が調子が悪くて買い換えました。

昔に比べて、選択肢も少なく、最低限の機能のにしました。
子機はついているものにしましたが、売ってる電話機は3種類しかありませんでした。

そして、車のタイヤ交換をしました。
タイヤは大きくて重いため、今年は自動車屋さんにお預けいたしました。
納屋も片付けしたいと思っていて、タイヤがあると不自由なため、今年はお泊りしてもらいました。

なんだか、少しずつ、新年に向けて動いています。
早いですが来年も良い年になりますように。




12月はワクワクする

2023-12-10 13:57:24 | 日記
昔から、大好きな月12月。

12月は冬休みやクリスマスがあり、お正月が近くてわくわくします。

子どもたちが小さかったときには、ツリーを出して、飾りつけをして、プレゼントを用意して、楽しかったなあ。

たしか次女が小学5年生くらいの時、担任の先生に、サンタさんなんていないよって言われたと言って泣いて帰ってきたことがありました。
そんなことを信じさせてるお母さんのことを悪い親だといわれたといって、悲しんでいました。

ほかの姉弟たちは、学校でサンタさんのことなんて話題にしなかったのかもしれません。

強く純粋な次女は、先生に食って掛かったようでした。

信じ込ませた私が悪いのか、普通ならなんとなくいないのかもと思う年頃にもかかわらず、信じていた次女が悪いのか、サンタさんがいるかいないかを先生の立場にもかかわらず、むきになって、子供にいないと言い放った先生が悪いのか。
誰かが悪いとかの問題ではなかったとは思うのですが、次女からは、なんでサンタさんがいないと教えてくれなかったのと言われました。

次女へのこたえは、なんといったか忘れました。
だだ、長女は、なんとなく、いないのじゃないかと思ったのは、小学校中学年だったと思うと言ってました。

お父さんとお母さんがプレゼントを夜中に準備していたのを見てしまったらしい( ´艸`)

私はいてもいなくても、どっちでもいいと思っています。
いると思えばいるし、いないと思えばいないし。


今は、部屋の一角に、申し訳なさそうに、クリスマスの飾りを飾っています。

こころがほっこりします。

12月、大好きです。

先週のこと

2023-12-03 14:46:56 | 日記
先週の連休の間の24日の金曜日をお休みにして、東京に行ってきました。
4連休です(*'▽')
23日は以前から行きたかったギャラリーに行き絵の展覧会を見てきました。
年に一回しか展覧会をやらない作家さんの絵はとっても優しい絵で、鈍感な私でも、もっと感動するかと思ったのですが、作家さんにお会いできた感動の方が勝りました。

ギャラリーに行く前に、娘が予約をしてくれた近くのグルテンフリーのレストランで、昼食をとってから行きました。
食事の写真は撮り忘れました( ;∀;)
娘家族を誘っていったので、とても楽しかったです。

娘家族にも絵を見てもらいたかったので誘い、そして願いが叶いました。

婿殿は引き込まれるようだと言ってくれました。
10歳の孫娘は作家さんとお話しできて楽しそうでした。
娘は1歳9か月の娘を追いかけるのに一生懸命でした。
私は来年のカレンダーを購入し作家さんにサインしていただき満足(#^.^#)

24日は、平日にもかかわらず娘はお休みを取ってくれて、久しぶりに2人で買い物を楽しみ、つくづく平和だなと感謝がこみ上げてきました。

25日は姪っ子が入院するかもとのことで、姉と姪っ子にもあってきました。
その時、一緒に住んでくれないかと言われたのです。
以前も申し出されたのですが、娘たちが怒ってしまって、、、ということがあり実現はしませんでした。
もちろん、私はそんなことはできないと思っていました。

姪っ子は私が一人暮らしをしているのは子供たちに見放されているからで、じぶんたちと一緒に住めば、お互いに都合がいいのじゃないかと思っていたようでした。
姪っ子は姉と娘と3人で暮らしています。
でも、私に家事等を手伝ってもらえたら、どれほど良いかと思っていたようです。

今回も、私の子供たちは別に私を見放しているのではないよと告げ、一応働いていて、いろいろ忙しいことを説明してきました。

結果、私と何年振りかで姉と姪っ子に会ったことで、姪っ子が元気を取り戻してくれたようでした。
姪っ子は、心の病で、看護師の仕事も辞めたりして、マイっていました。

姪っ子と話をして思うことは、何かに頼って生きているうちは、病気は直らないのだと思うし、姪っ子に必要なことは自立することかなと。

姉はもう参っていて、とっても老けてしまっていました。
姉も、私と一緒に住んで、いろいろ手伝ってもらえたら、助かると思っているようでしたが。

私が秋田から母の面倒を見るために福島に戻ってきたことは、そんなに簡単なことではありません。
姉と相談をして、主人の母と姉と妹に、相談をして仕事も、いろいろなことを中断してここにきています。

今度は自分たちが困ったから、来てほしいなんて、、、、
わたしには虫が良すぎるとしか思えず、姉の言うことは、何でも言うことを聞くと思われているのかもしれません。
わたしには私の人生を生きる権利があるはず。
自分のことは自分でやってほしい。

私の子供たちは、自立していて、今更ながら、助かっています。
わたしも、自分の人生をやっと生きている実感があります。

いいんです、一人暮らしには一人暮らしの楽しさがあるのです。

だから、もう少し、このままでいさせてください。
お願いいたします。

これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。