これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

昨日のことと、こどものこと

2020-10-31 13:02:41 | 日記

昨日は、会社を休んで、年に一回の検査に行ってきました。

CTとマンモグラフィー。

CTの前にマンモグラフィーをやるのですが、拷問のようです。

でもじっと耐え、被爆します。

来年はやりたくない。でもやるのだろう。

CTは、造影剤を注射され、スキャンされる。

此方は、大好きなお刺身は食べない方がいいというので、2日間は食べないで、我慢。

検査の結果は2週間後。

何でもないといいなあ。

年末年始には毎年来ていた子供たち、コロナが怖いので来れないし、こちらから行くこともできない。

長女は東京、次女は神戸、三女は県内、息子は秋田県。

みんなてんでバラバラ。

それぞれの思いがあってそうなっている。

そして私は、好まない一人暮らし。友人から羨ましがられるが、之も、ある思いがあってこうなってる。自分で選択しているから、好んでこうなっているといえるのかもしれない。

観光気分で行けるから住んでるところは、遠くてもいいかなと思っていたが、今回のコロナで行けなくなった。

ココも辛抱我慢。

大丈夫、きっと行ける日が来る。楽しみは後に取っておこう。

ただ、一人暮らしに慣れると、これはこれで、良いものなのである。

無理せず、明るく、自分らしく、これからも生きていきたいと思う今日この頃なのです。

 

 


予防接種のこと

2020-10-25 09:57:09 | 日記

先日、会社を抜け出して、肺炎球菌ワクチンを接種してきました。

65歳以上のあれです。

注射を打ってくれた看護師さんが、みんなにやった方がいいと言われたの?と聞いてきたのです。

はい、打つのが当たり前だという風潮だったのでと答えました。

確かに友人も何の疑問も持たずに接種してましたし、姉も医者の子供も接種したほうがいいよと言ってましたし。

そしたら、まだ若いのに、と言って、意味深でした。

まだ若いから、接種しなくてよかったのかなあ。

私の18歳であの世に旅立った妹は、小学校に入るときに日本脳炎の予防接種をして、軽い脳炎にかかり、何年かは知能が遅れるとお医者さんにいわれました。

実際、可愛くて、性格もよい子だったのですが、知能が少々遅れ気味でした。

高校生になるころには、だいぶ知能も戻ってきていましたが、高校を卒業した一週間後にあの世に旅立ちました。

くも膜下出血でした。

脳に何らかな障害があったことは間違いないでしょう。

私より一つ下の妹でしたから、双子のように遊んでいました。

予防接種というと、私は、緊張します。

だから、インフルエンザの予防接種もしたことがありません。

今回は、5年に一度なのだからなのか、本当に周りの人たちは接種していて、接種しない理由がありませんでした。

コロナのワクチンが出ても接種しないかもしれません。

怖いです。

今年の年末には、いつも集まる子供たちもGOTOとはいえ、自粛するようです。

神戸に住んでる子供が、年末は神戸に来ないかと言ってくれたのですが、まだ移動は自粛します。

なんといっても移動して何かあったら、会社を首になるかもしれませんので。

とはいえ、早く、子供や、孫に会いたいですわー

 

 

 

 

 


10月10日って

2020-10-10 14:20:17 | 日記

10月10日って、昔は体育の日だった。

そしてその日は必ず晴れていた。

今年は台風が来ていて、雨が強く降り、気温も低い。

私は、いつもの服装に加えて、ふわふわのベストを着ている。

そして、ストーブをつけている。

寒い。

じっとしているからなのだが、寒いのはにがてだな。

 

冷蔵庫はやはり壊れている模様。

テレビも調子が悪い。

iPhoneも古くて、Cocoaがインストールできない。

変えなくてもいいかなあ。

時代は変化しているのだろう。

テレビも見ないからいいか。

冷蔵庫もいらないかな。

いや、冷蔵庫はいるか。


手作り

2020-10-04 10:43:13 | 日記

時々、わたしには手作り職人が一番合うんじゃないかと思うときがある。

子供のころから、モノ作りが大好き人間だった。

ラジオや、DIYが大好きで時間を忘れて作っていた。

いつの間にか、こんな年になって、再開した油絵も母の死を境にやらなくなって、心に、穴が開きっぱなしだった。

しかし、最近ビーズにときめきを感じ、手作りがしたくなった。

きっかけは一枚のTシャツ。

買い求めたTシャツにビーズのチャームがついていた。2つもついていた。

洋服に合わせ、チャームを選ぶのだが、もっとチャームがあれば一枚のTシャツも何枚もの価値が出るなーと思い、チャームを検索したのだが、なかなか気に入ったものがない。

じゃ作るかとなるのですが、作るにも、やり方がわからない。

でも、できそう。

しかし、材料を集め、本を読み、いざやろうと思ったのだが、やっぱりやり方がわからない。

資格の講座を見つけたのだが、高額だし、どうしようかなと思っていたら、手ごろな練習に良いものがあった。

基本のビーズのアクセサリーが作れる、キットが毎月とどく無理なく作れるものがあった。

これで練習してみよう。

でも、ちょっぴり不安は残る。なにせ、老眼、手はなまっていて器用とは言えない今日この頃です。

 

一つ何とか仕上げました。

見るたびにどこかが外れているんですがね💦

でもやり方はこれで理解できそうです。

 

私の最初の作品、ブレスレット。

楽しい。思ったより、作り方は、簡単だったが、器用さは必要で、何回もやり直ししました(;'∀')

生きていくには、ときめきが必要なんだなー。

高価なものじゃないけど、なんかうれしい。

出来上がった作品を見るのは、満足だが、仕上がりよりも工程を楽しみたい。

 

今日もつまらない、私の日記にお付き合いくださいましてありがとうございます。

 


シンクロニシティ

2020-10-03 11:48:33 | 日記

私は、前の会社を定年まじかで辞めた。

定年まで待てなかった。

今の会社から、お誘いを受けたのもあるが、どうしても、一緒に仕事をするには我慢ができなかったことがあったから。

そしてその原因が一人の人によるものであった。

仕事は中身もそうだが、人間関係に尽きると思う。

人間関係がうまくいっていれば、どんなに忙しくても、難しいことがあっても、たいていのことは乗り切れる。

今回、私が辞めるに際してのきっかけの人が、8月いっぱいで前の会社を辞めていたのだ。

たとえ、その人が辞めても辞めなくても、私は今の状況に至ったことは変わらないと思うが、辞めた原因を知りたくなった。

余計なことだし、私とは関係ないが、どうしても知りたくなった。

そして、こともあろうことか、副社長に電話をして聞いた。

その理由は「やりたいことがあるから」と言ってやめたとのこと。

ふーん(* ̄- ̄)ふ~ん

電話を切ったが、そうなんだと思えなかった。

次の日、会社のお使いで、外に行った時のこと、コンビニで、用事をたそうと思い駐車場に、車を停めた。

その瞬間、あらまあ、副社長の車じゃないか?

あっちも気が付いてくれて、一緒にいた私が話をしたかった女性従業員の方ともお会いできて、ちょっとの間、話ができた。

普通なら、コンビニで会える環境ではない。

同じ市内の会社でも、車で30分かかるし、私は仕事上基本外に出ることはない。

思い悩んでいたことの思いが通じたのか。

結果、お会いできてよかった。

辞めたことに、罪悪感を感じていたのが、少しずつ溶けて行っている。

自分のことばかり考えている自分だが、仕事をするからには役に立ちたいのが本当のところ。

自分が今何を考えているのか、何がしたいのか、こんな年齢でも仕事があることに感謝しているだけの自分でいいのか。

まあ、いいんじゃないか?

今日を精一杯、生きていれば。

遅くなったが叔母のところ行って8月に撮影した娘の33歳の記念写真でも見せに行って来よう。

娘は身長が165cm以上あります。

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。