これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

母が亡くなって2週間

2016-01-22 14:03:06 | 日記

母が亡くなって2週間が過ぎました。

短い間でしたが、読んでくださった方々ありがとうございました。

まだ、実感がわきませんが、これにてこのブログは終了しようと思います。

本当にありがとうございました。

 


まさかの!!!介護終了

2016-01-19 10:40:46 | 日記

8日にまさかのインフルエンザの診断!!

私のことです。

病院に行けないじゃない!!

そう思ったものの、母が入院している病院に電話。

次の日は姉と姪っ子夫婦が母を見舞う予定。

その後、姉だけ残り、叔母のうちにお泊り予定だった。

私がインフルエンザだからね。

幸い早期なので早く治るだろうとのこと。

三連休明けには学校にも行けるだろうとのこと。

その夜病院から、叔母の家に電話。第二連絡先のためだ。

危篤の一報が入って、叔母と姉が、最後の対面をして、母は息を引き取った。

私は姉の電話でそれを知る。

なんという状況に亡くなったの?

しかし私は隔離され、姉と叔母たちが準備をしてくれた。

葬儀の準備です。喪主は長女である姉。

お通夜は12日、告別式と火葬は13日。新聞には出さず。と決まった。

私は12日と13日ともに出席できた。

母がインフルエンザにしてくれたように感じた。

もういいから、あとは姉に任せなさい。

お母ちゃんはもういいから。

ごめんね、何にもしてあげられなかったのに、私ばっかりゆっくり休んで。

心の準備は万端だったのに、早すぎると感じるこの気持ち。

87歳だからもう仕方がないという世間の感想。

確かに。

しかし、母をなくすという避けては通れないこの経験は、私だけのものじゃない。

今日はここまで。


今日の母

2016-01-05 19:05:39 | 日記

学校帰りに、母の入院している病院に行きました。

毎日行ってますが、日に日に弱っているのがわかります。

今日は酸素を0.5入れてもらっています。

びっくりして、看護師さんに尋ねたら、先生の回診の際に足の色が紫で、体の末端まで酸素が回っていないらしく、酸素を吸わせてるとのこと。

お医者さんからお話を聞きますか?というので、直接聞きました。

年を越したのはすごく本人ががんばっているとのこと。

この病気は背中が痛いはずなのに痛いといってないこと。

認知症でも、痛ければ痛いというはずとのこと。

とにかくいつなくなってもおかしくないから、合わせたい人がいたら合わせてくださいとのこと。

母は本当に日に日に顔色も灰色になっています。

ごめんんね、何にもできない。

元気で変なことするのも困るけど、病床にいる母を見るとき、早く楽にしてあげたいと思うけど、頑張っている母はやっぱり生きたいのでしょう。

覚悟なんていつになってもできなくてごめんね。

でも、そろそろ時期が来たようです。

でも、もう少し頑張ってね。

明日は就職の面接があるの。

私も頑張るからね。

きょうはここまで。

 

 


新年が明けました

2016-01-04 19:10:45 | 日記

昨年はコメントをくださった方々には勇気をいただきました。

本当にありがとうございました。

今年もよろしくお願いいたします。

 

さて、母が入院して一か月が過ぎました。

昨年は母にとっても、わたしにとっても、いろいろなことがありました。

母は、口から食べるものはお昼のおかゆのみになりました。

点滴をしていて、栄養を取っています。

延命治療ですね。

でもそれでも、生きていて話ができます。

命の不思議を感じます。

母は気丈な人なのでしょう。

生きたいと思います。

姉やその子供、私の子供もお見舞いをしました。

うちに帰りたいけどこんなになっちゃった、と話している母は、まるで何でも分かっているようです。

みんな、覚悟をして帰っていきました。

ありがとうの言葉しかありません。

 

きょうはここまで。

 

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。