母が亡くなって2週間が過ぎました。
短い間でしたが、読んでくださった方々ありがとうございました。
まだ、実感がわきませんが、これにてこのブログは終了しようと思います。
本当にありがとうございました。
母が亡くなって2週間が過ぎました。
短い間でしたが、読んでくださった方々ありがとうございました。
まだ、実感がわきませんが、これにてこのブログは終了しようと思います。
本当にありがとうございました。
8日にまさかのインフルエンザの診断!!
私のことです。
病院に行けないじゃない!!
そう思ったものの、母が入院している病院に電話。
次の日は姉と姪っ子夫婦が母を見舞う予定。
その後、姉だけ残り、叔母のうちにお泊り予定だった。
私がインフルエンザだからね。
幸い早期なので早く治るだろうとのこと。
三連休明けには学校にも行けるだろうとのこと。
その夜病院から、叔母の家に電話。第二連絡先のためだ。
危篤の一報が入って、叔母と姉が、最後の対面をして、母は息を引き取った。
私は姉の電話でそれを知る。
なんという状況に亡くなったの?
しかし私は隔離され、姉と叔母たちが準備をしてくれた。
葬儀の準備です。喪主は長女である姉。
お通夜は12日、告別式と火葬は13日。新聞には出さず。と決まった。
私は12日と13日ともに出席できた。
母がインフルエンザにしてくれたように感じた。
もういいから、あとは姉に任せなさい。
お母ちゃんはもういいから。
ごめんね、何にもしてあげられなかったのに、私ばっかりゆっくり休んで。
心の準備は万端だったのに、早すぎると感じるこの気持ち。
87歳だからもう仕方がないという世間の感想。
確かに。
しかし、母をなくすという避けては通れないこの経験は、私だけのものじゃない。
今日はここまで。
学校帰りに、母の入院している病院に行きました。
毎日行ってますが、日に日に弱っているのがわかります。
今日は酸素を0.5入れてもらっています。
びっくりして、看護師さんに尋ねたら、先生の回診の際に足の色が紫で、体の末端まで酸素が回っていないらしく、酸素を吸わせてるとのこと。
お医者さんからお話を聞きますか?というので、直接聞きました。
年を越したのはすごく本人ががんばっているとのこと。
この病気は背中が痛いはずなのに痛いといってないこと。
認知症でも、痛ければ痛いというはずとのこと。
とにかくいつなくなってもおかしくないから、合わせたい人がいたら合わせてくださいとのこと。
母は本当に日に日に顔色も灰色になっています。
ごめんんね、何にもできない。
元気で変なことするのも困るけど、病床にいる母を見るとき、早く楽にしてあげたいと思うけど、頑張っている母はやっぱり生きたいのでしょう。
覚悟なんていつになってもできなくてごめんね。
でも、そろそろ時期が来たようです。
でも、もう少し頑張ってね。
明日は就職の面接があるの。
私も頑張るからね。
きょうはここまで。
昨年はコメントをくださった方々には勇気をいただきました。
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、母が入院して一か月が過ぎました。
昨年は母にとっても、わたしにとっても、いろいろなことがありました。
母は、口から食べるものはお昼のおかゆのみになりました。
点滴をしていて、栄養を取っています。
延命治療ですね。
でもそれでも、生きていて話ができます。
命の不思議を感じます。
母は気丈な人なのでしょう。
生きたいと思います。
姉やその子供、私の子供もお見舞いをしました。
うちに帰りたいけどこんなになっちゃった、と話している母は、まるで何でも分かっているようです。
みんな、覚悟をして帰っていきました。
ありがとうの言葉しかありません。
きょうはここまで。