これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

母の様子

2015-12-23 20:43:18 | 日記

母はだいぶ弱ってきました。

寝てる時間が多くなってきて、話し方も弱く、大きな声が出せません。

食欲もなく、もう食べたくないといって口をつぐんでしまいます。

ほんの一か月前にはゆっくり歩いてデイサービスに通ってたのですが、もう歩くことができません。

点滴も腕にはさせなくなりました。

でも、お話が好きで、私が行くととても喜んでくれます。

病院は暖かく、ここにいていいのか?というようになりました。

今は3人の部屋で落ち着いています。

ほかの二人は寝てばかりいます。

口から食事をとっているのは母だけです。

何でもいいから、生きていてくれて、私に心の準備をさせてくれてありがたい。

母もなんだかもう長くないことがわかってきているようで、認知症なのに穏やかな笑顔がまぶしいです。

いい人生を過ごしてきたような顔をしていて私も心が穏やかになってきました。

まだまだ、生きていてもらいたい。

それが今の私の願いです。

認知症で癌なのに、人の心配ばかりしている母はやっぱり天使です。

ありがとうねと、すみません、どうもねが母の口癖です。

看護師さんや介護士たちは、母と接すると、やっぱり笑顔になって部屋を出ていきます。

 

きょうはここまで。


我儘な母

2015-12-14 20:05:42 | 日記

入院して12日が過ぎました。

体がつらいのか、寝ていることをありがたがっていた母も、ここに三日はわがままを言うようになってきました。

帰りたがって、何度言っても帰りたいと言ったり、おトイレにはいけない状況なのに行きたいのと言って、私を困らせます。

もういいかげんにして頂戴と言いたくなるのをぐっとこらえて、何回も説明をします。

すぐに、納得をするのに、すぐにまた同じことを言って困らせます。

手は縛られています。外してちょうだいと言います。

私には、言いたい放題を言います。

私はそこにいたくなくなり、もう行きたくないと思ってしまいます。

毎日行っていても、覚えていないし、もしかしたら私を認知してないのかもしれないと思ったり。

近所の人が介護士さんで、時々見に行ってくれます。

その人には気を使うらしく、私のことは覚えていないのに、その近所の介護士さんのことはわかるようなこと言ってるみたいです。

今日は、母は、こんなんだったら(手を縛られたり、トイレに行きたいのにいけない)、もう生きていたくないといいました。

そんなこと言われても私にはどうすることもできません。

食事も細かったのが、今日はお風呂に入れたのが良かったのか、自分から、食事をとっていました。

とはいっても、少ししか食べないので、チョコレートを2個食べさせましたが。

また、明日来るからねと言って帰ってきました。

会話ができるだけ、いいと思わなくてはいけません。そう思うことにしました。

やせ細って、骨と皮ばかりなのに、要求は人一番。まだまだ大丈夫なのかも。

今日はここまで。

 


入院して

2015-12-08 19:30:43 | 日記

入院して6日が過ぎました。

母は、落ち着いていて、私が行くとお迎えに来たのかと思ってそわそわしますが、まだお泊りしていてね。治ったら帰ろうねと言うと安心したように、そうかと言います。支度していくのはしんどいらしいです。

寝てていいのか?と言います。

どこが悪いのか?

おなかだよ。

そうなんだ。どっか悪いんだな。

ちゃんとご飯食べて早く治そうね。

うん、わかった。

少し、つらいと思うのですが、寝ているほうが楽で、今が一番体にはいいようです。

きっと治って、おうちに帰る日が来そうな母です。

昨日はつらくて私が泣きたくなりました。

泣きたいのは母なのに。

もう、認知症の薬は飲んでいません。

今日はここまで。


天使のように

2015-12-05 17:58:24 | 日記

今日は母の病院の後に、自分へのけじめのため、かかりつけのお医者さんに行ってきました。

菓子折りを持って、長い間ありがとうございました。と。

とってもすっきりしました。

お医者さんには会いませんでしたが、よかったと思っています。

7年前、父も結局はがんで亡くなったのですが見つけてもらえませんでした。

私としては、不本意でしたが、長い間お世話になったことには違いなく、無事に病院に入れたのですから、そこだけをきりとって感謝すべきなのでしょう。

母は、落ち着いていて、病院でゆっくりしているという感じで、私が言ったら、きみちゃんか?と言ってくれました。

我慢強く、痛いのだろうに、寝返りをしたいといって縛られているベルトを介護士さんに取ってもらった。

尿をつないでる管を外してしまうのでベルトで固定されている。

それが、いやみたいなのだが、我慢している。

いろいろやってもらって、その度に、ありがとう、すみませんと母は言う。

私にも言う。

母は小規模多機能住宅にいるときにもみんなから好かれていた。

母はこんな性格だったのだろうか?

もともとはおとなしく、感謝の気持ちいっぱいの人だったのだろう。

私は、そんな母を嫌がって、つらく当たるときもあった。

そうすると、怒った。そして最後には泣いて謝ってきた。その言い方が嫌だった。

でも、もうそんなやり取りも必要なくなった。

下の世話もしなくていいし、ようやく歩くのも私まで腰を曲げながら付き添う必要もない。

ただ、病院に横たわっている母に会いに行くだけ。

そんな私が帰るときは、明日また来るね。と言うと、 うん、明日ね。と言って返事をしてくれる。

自分も帰るといわれるかと思ったが、案外すんなり返事してくれた。

体がつらいのだろう。どこに行ってもすんなりとその場所になじむ人だ。

天使のように見えた。

今日は安心して帰ってこれた。

明日も行くからね。

きょうはここまで。


寝たきり

2015-12-04 17:55:11 | 日記

こんなに早くねたきりになるとは思わなかった。

尿を管でとり、ベットに横たわってねるでもなし、目をつむって自分の顔を触っている母を見たら、起きているのだと思い声をかけました。

おかあちゃん。

誰だい?

〇〇〇だよ。

ああ、〇〇ちゃんか。

ちぃさい子供はどうした?うちに置いてきたの?

(なんだかわかんないけど、私の子供のことかなと思ったので)うん、置いてきたから、帰らないといけない。

そうなんだ、寝てていいのかな?

うん、いいんだよ、おかあちゃんは、今日はここにお泊りだからね。

そうか、お泊りか。みんなもお泊りなのかな?

(みんなってデイサービスの人たちのこと?)そうだよ、みんなお泊りだよ。ゆっくり休んでね。

夕ご飯食べて寝るだけだからね。

そうか、まだ夕ご飯たべてないんだっけ?

こんな会話を何回か繰り返し私は帰りました。

私は何ももうできないことを悟り、病院にお任せして、何もないときには、毎日顔を出すことに決めました。

もう元には戻りません。

母にもっと優しくすればよかった。

もっといろんなとこに連れて行けばよかった。

きっと周りの人は、良くやってるよ、優しいよ。と言ってくれるでしょう。でも、介護はどんなにやっても、後悔が残るものなのでしょう。

母がうちに帰ってくることはあるのでしょうか?

今日はここまで。

 

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。