これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

きょうも止めてみた

2015-07-31 08:33:43 | 日記

昨日の夜も、睡眠導入剤を止めてみました。

母は何回かトイレに起きた模様ですが、無事に朝まで寝ていた模様。

私も、物音で何回かは目は覚めましたが、疲れていたためか体は起こさず、あさまでぐっすり。

何もしてないのに疲れます。

今朝はイライラしてしまいました。

家にはクーラーがありません。

浜風が気持ちよく家の中に入ってくるので、クーラーがいらないのです。

でも、朝とはいえ窓を開けておかないと暑苦しくなります。

朝の窓あけは母の仕事にしています。

起きて着替えて、顔を洗い、入れ歯を入れて動き出します。そうしてねと言わないと次の行動ができません。

おしめをしていますがこれは私が別の場所から持ってきて履き換えてもらいます。

以前は母が寝ている部屋におしめを置いて、汚れたら自分でやっていたのですが、おしめのヘリが半端ないのです。使ったおしめも見当たらないことがありました。

お掃除のたびにたんすやら布団の下やらバックやらから新しいのや、つかったのやら出てくるのです。

におうやら、濡れているやら(渇いたのも出てくることもありますが(;一_一))ガーンと打ちのめされて気分が悪くなり、いろいろ考えました。

どうしたらこんな状態にならずに済むか?

それは、、、おしめを見えるところに置かなければいい。。。。のです。

トイレに一日分のおしめパットを置いて、後は違う場所の押し入れにしまいました。

そうしたら朝方などはおしめパンツをはいてない時もあり、必要以上に早く起きてそわそわし始めますが、不安のため私を起こしに来てパンツをゲットして、不安から脱却します。そのまま起きてしまいますが。

睡眠導入剤を服用するようになってからは、起きるまでパンツは履いているようです。

今朝は5時に起きてきました。

おトイレに行ってパンツがないので履かずにももひきを履こうとしましたが、たまたま私が見てしまったため着替えをする前にパンツを履かすことができました。

私は意地悪かもしれません。

自分よりも母中心に物事を考えるべきなのかもしれません。

私は神経質で、トイレのスリッパを触った手やトイレに行った後の手でいろいろなところ触ってほしくありません。

きつく言ってしまいます。腰が曲がっているため手すりやそっちこっちの壁に手がいきます。

私は雑巾や消臭タオルで拭いてまわります。

 

母は毎朝、まだデイサービスのお迎えが来ないうちから、せっかくあけて気持ち良い風が入ってくる、家じゅうの窓を閉め始めます。

気がつくと暑苦しくなって、私は息苦しくなるので、怒ってしまいます。

「なんで閉めるの? 」 

「出かけるから閉める。」

たったそれだけのことなんですが、それがまだ出かけないからいいんだよと締め始めてから何回言わなきゃいけないことか、私は空気が吸えなくなってしまいます。

しかも、私がいないときばかりに自由に行動してやりたいようにやるのです。

できるんじゃん。だったらなんで聞いてばかり来て行動するの?

姉が帰郷した時、私の息づかいがおかしいよ、と言われたことがあったけど、もしかしたら、怒っているときには過呼吸寸前の状態になるのかもしれません。

しかも、自分は準備万端で、出かける気満々だけれども、私はまだ着替えもしていないし、これから掃除洗濯があるし、自分の薬も飲んでないのに窓を閉めるなんて腹が立つ。それでなくても、自分中心になる母が認知症のせいでもっと自分中心になっていると頭では理解してるのに無性に腹が立つ。

とにかく睡眠導入剤を止めてみたら、飲んでた時のように夜は私を起こしに来なくなった。

おこしに来ることを忘れてくれたのかもしれない。怒ってばかりいる私が怖いのかもしれない。

もう少し飲むのを止めてみよう。

なんでもかんでも母中心に物事を進めるわけにはいかないのです。

私が先にこの世からいなくなるわけにはいかないのです。

悪いけど私の都合のいい方法をとらせてもらうね。

また、一日だけお泊りに行ってもらおうかな?

怒る回数が減らせるかも知れない。

きょうはここまで。

 

 

 

 


困ったこと

2015-07-30 08:27:04 | 日記

母はここ3週間ほど睡眠導入剤を飲んで寝ます。

飲むのが7時半。もう寝たいと言ってくるので、飲ませてしまいます。

お医者さんは9時ごろに飲ませなさいと言いますが、それまで起こしておくのは正直できないのです。

朝は4時に起きます。私を起こしにきます。私は2階に寝ているので、母にとっては登山のようなものです。

それも危ない。睡眠導入剤を飲む日にちがたってきて、2階に上がらなくなりました。

気力が無くなったのか、薬が効いているのか。

しかし、夜のおトイレは2から3回起きているようです。不思議でたまりません。薬を飲んだからと言ってぐっすり朝まで寝てしまうわけではないようです。起きている状態はわかりません。ふらついているものやら、普通に動けるものやら。

以前も困って睡眠導入剤をもらいましたが、効き目がありすぎて、飲んですぐにろれつが回らなくなり、ふらふらして、夜中は布団が汚れるほどぐっすり寝て逆に怖かったので、すぐに服用を中止しました。

母が起きるとガタガタして、ドアも建てつけが悪いのかバタンと響いて、私もそのたびに起きてしまいます。

起きてしまうともう寝れません。

母は2階に来ることなく寝付くようです。

睡眠導入剤を飲んでから、元気がなく、体も動かなくなってきているような感じがして、薬を飲んで1週間ぐらい経ったときに飲ませるのを止めてみました。

しかし、案の定、母は2階まで上がってきて、何度も夜中に起こしてきました。

駄目だー、ヤッパリ、睡眠導入剤の力を借りようと思い、再び飲ませ始めました。

夏という、暑さのせいなのか、睡眠導入剤のせいなのかはわかりませんが、ヤッパリ元気がないように感じます。

昨日も飲ませるのを辞めてみました。

今日に限って、4時になっても起きてくる気配はありません。

私は昨日三女と買い物をして結構歩いたので、夜中に目が覚めることもなく目覚めました。

しかーし、起きてみると家じゅうの障子が開けられていました!!!!!!

どうやら、私の知らないときに起きていて、また寝たようです。

いつもなら、おこしに来たり、神棚にお水を上げようとして、くるくる回る椅子に上がったり、お湯を沸かそうとして、ガス代をいじって壊したりするのですが、すんなり寝たようです。

睡眠導入剤を飲ませないと夜中におトイレ以外に起きてしまうんだ。

まだ、外に出たりしないだけいいけれど、知らない間に起きて、活動開始したり、外に行って、家が分からなくなって徘徊してしまったら困る!!!!

6時前にそーっと起きていて、着替えて帽子までかぶって、入れ歯無しで靴下も履かず、ぎょっとしてしまうほどの恰好で、デイサービスに行く気満々の母が部屋から出てきました。妖怪かい??そんな感じです。

睡眠導入剤は本当はあげたくありません。余計な薬は嫌なのです。

ケアマネージャーさんも勧めていませんでした。

でも、私の睡眠と母の夜の行動を思えば、あげなくてはいけないかなあ??

こまった。

この薬は以前処方された薬とは違いゆるやかで新しい薬だそうだが本当に緩やかで、効き目が薄い感じがする。

でも、認知症は進行する度合いが大きい気がする。とにかく、夜は普通に寝てほしい。ささやかな願いです。

また、お医者さんと相談だ。

きょうも薬を止めてみよう。

今日はここまで。

 


ひとつづつ

2015-07-28 10:18:21 | 日記

母は自分と私の関係がよくわかってません。

時には私は娘であったり、姉であったり、いとこであったりします。

今朝は自分のことを名前でしか認識しなくなりました。

また元に戻ると思うけど、デイサービスに長い時間いるからだと思うけど、なんだか、さみしいです。

私はなんと思われても母のことを「おかちゃん」と呼んでいます。

スリッパを履こうとして探していたので「おかちゃんのはこれだよ」と言ったら、自分だと思わなかったようで、ためらっていました。

名前で呼んでみました。

そうしたら納得して、スリッパをはきました。

いつもデイサービスではセカンドネームで呼んでもらってます。

一つづつわけがわからなくなっていって、半歩戻って一歩進む感じです。

5年前よりもずーっと前から認知症は発症していた気がします。

 

先日床下収納の整理をしました。

梅干しの瓶が5瓶、杏酒がひと瓶。

梅干し2瓶はカビていたので、中身を捨てて洗いました。

収納庫の中を掃除して、いただけるものは、元に戻しました。

父が漬けた梅干しと杏酒です。

父が亡くなっても実家のかたづけをすると父の残したものが、いろいろ出てきて面白いです。

一番よかったのは工具です。ドアノブの修理やら、植木の伐採やらをするのに大変助かります。

母に報告をしても、なにがなんだかという感じで、話し相手になりません。

今、母はだれと一緒にいるのだと思っているのかな?

今朝聞いたら、「妹かい?」と言ってました。(笑) 誰でもいいや。

 

デイサービスでは、とても食欲があり、出されたものは全部食べるそうです。

私の食事は自分ではお美味しいと思うのですが、嫌な顔をしてこんなに食べられないといいます。

すこししかだしてないのにな。好き嫌いが多くて、最近はおいしいおいしいと言ってくれなくなりました。

秋になればまた、おいしいと言ってくれるかな?

きょうもお腹が痛いと言ってたけど、デイサービスの人がお迎えに来たらよろこんで行きました。

行ってくれるから、本当に本当にありがたいです。

 

きょうはここまで。

 


母の体調

2015-07-27 09:04:52 | 日記

母は、このところ、腸の調子が悪い。

こんな気候のせいもあるのかと思うのだが、下って2ヶ月、薬を変えてもらって5日目。やっと、下痢が収まった。

あわてた。食欲もなく、「なんだか今日は行きたくない」などということが多くなったからだ。

えー?今日はこの人と一日中付き合わなきゃいけないのか?とうんざりするが、しばらくすると、「どれ着たらいいか分からない。」と言い出し着替えようとする。

「具合悪いんじゃないの?」と聞くが

「そんなこと言ったっけ?」と母

「お腹大丈夫?痛くないの?」と私

「うん、大丈夫」と母。

結局、私の母と一日中付き合う決意はぺしゃんこ。

母と一日一緒にいることは相当の覚悟が必要なのだ。

まず、何にもできない。

何を食べさせてもあんまり食べない。

家にいたがりでかけたがらい。

何度もデイサービスに出かけようと支度をする。そのたびに同じことを説明する。でも、一分後には今の説明はなんだったのだ?と思うことが起こる。

たまにすごい荷物を持っていこうとする。家出かい?と思うような格好である。疲れる。母は切れてる私を短気だと思っている。

だから、私に特別に用事がなくてもデイサービスに行ってもらったほうがお互いに助かる。

デイサービスがなかった時代はさぞかし家族は大変だったろうと思う。

仕事とはいえ、本当に頭が下がります。

母の体調が悪いとさすがの私も今度は違う覚悟を決めなくてはなりません。

だから、また元気になった母をデイサービスに送ることができて感謝です。

今日はここまで。


自分のこと少し

2015-07-26 08:41:27 | 日記

どうしても、弱いはずの母が強く観えてしまう。

認知症だからわすれるのだけど、洋服をこれとこれを着てねと言っても気に入らないと私のいないところで着替えていたり重ね着をしたりしてしまうのだ。

この暑いのに自分の気に入るようにやる。私は根負けする。そして腹が立つ。

母は結局強く、私は弱いのだ。

ところで私は今無職。5月いっぱいで会社を辞め、職安に行っている。

おととい60歳になって、もう仕事をしなくてもいいようなものだが、どっこい、仕事をしないと生活ができない。

でも、生活は大変だけれど、この際、ゆっくりこれからの人生について考えて、自分の仕事を決めようと思う。

雇ってくれるところはないかもしれない。だからと言って歳なんだからと諦めるには少々残念な気がする。

だからちょっともがいてみようと思う。

6月は東京の友人にあったり娘のところに行ったり、叔母に誕生祝いをしてもらったりして、いろいろなランチを堪能した。

7月に入っては、勉強をしている。資格試験のための勉強だ。しかし、整理収納アドバイザーの仕事がしたい。でも就職もしたい。これもあれもしたい。欲張りな私で、結局、ポリテクセンターに通うことになった。8月から通える。ちょっとした学生気分に浸れるかな?

そして、理想は自分の好きな仕事ができればいいなと思う。

私は建築を大学で学んで、結婚して、専業主婦になった。

バブルがはじけると、私は就職をした。生活のためだ。なぜか転々としてしまい、務めた期間は短くて7カ月、長くて9年だった。

それでも、子供たち4人全員、大学にいけた。よかった。

本当のところ、私は主人と結婚したのは2人で設計事務所を取り仕切りたかったから。

学生時代に出会い、この人となら、設計事務所を開設して楽しく生活できると思った。

しかし夫は54歳で、設計事務所を始めて1年後に亡くなってしまった。設計事務所をやってた一年間は最悪だった。

夫をよく見なかった時間が長くあったためだろう、子育てに夢中だったためもあるかもしれない。「あれ?この人ってこんなひとだっけ?」という感じで、うまくいかず、またまた、就職してしまった。そのほうがよかった。

そして2年後、私は母の介護をするため、福島へ。仕事は転勤という形で継続した。

介護といっても、今は小規模多機能住宅に通っているのだから、夕方から朝の間のお世話のみ。

食事も朝だけなので大変楽をさせてもらってます。そのほうが母も私と顔を突き合わす時間が短くて、精神衛生上いいと思う。

直前の会社を辞めたのは、出勤時間が早くて、母が一人になる時間が長くなるからが一番の理由。そのほかいろいろあったけど、ここでは言及しないでおきたい。

やっぱり建築設計がしたい。これから6カ月間勉強しながら資格試験を受けて、来年は建築士も受けて、諦めないでいずれ自分で独立して仕事がしたい。一生仕事をしなくては生活できないだろうし。

きょうはここまで。

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。