日常生活をしているといろいろな思いが沸き起こってくるのは私だけなのだろうか。
みんなクリーンな気持で毎日を過ごしているのだろうか。
今の私は過去のことの、いろいろな悲しい出来事や悔しい思いが次から次に沸き起こってくるという状態がここ何日か続いている。
以前とは違った環境、一人暮らしでの気楽さ、仕事の内容等、全く違う環境での生活。
まさに、瞑想をしているような日常なのだ。
雑念を消していく作業を今、しているのかもしれない。
きょう、朝起きたときに、一人の同級生が頭の中に浮かんだ。かりにS君としよう。
S君は、中学校の時、父親が亡くなったために、引っ越しをして、中学を卒業したあと、高校に行けずに大工さんになったと風の便りで聞いた。
男子だったが、話が合いクラスの中でも仲良しだった記憶があった。
もちろん、子供だったから、気兼ねなく言い合いをし喧嘩もした。二人とも絵をかくのが好きだった。
小学校か中学校の美術の時間に、先生がその子と私の絵を並べて、「どっちがうまい絵だと思う?」とみんなに聞いた。
先生が「私の絵の方がうまいと思う人?」といったときには、ほとんどの子が手を挙げた。
しかし、先生は「僕はそうは思わない。S君の絵の方がいいと思う。」
今の時代にそんなことを言ったら、私の親が黙っていないだろうぐらいの、発言だと思うし、絵って、比べるもんじゃない気がする。S君の絵はいわばピカソのような絵。私の絵は写実的な絵で、確かに景色を映しただけ。
結果、私は傷ついただけだった。
そんな彼と、再開したのはなんと大学の校舎の中。
すぐに分かった、たぶん20歳ごろの時だったと思う。
後輩として入学してきたのだ。
そして、再会を喜ぶはずだったのに、彼の第一声が「なんだ、優秀な高校を卒業しても俺と同じ大学か」
ふん といったかどうかは定かじゃない。
またしても、がっかりした。
いわれたことにことにじゃなく、そんなことを言う人になっていたのかということに、がっかりしたのだ。
S君は頑張って、大検を取って、またまた頑張って大工さんになったから建築士を目指して建築学科に来たのね。
私はというと、建築士にもなっていない。
今は、絵もかいていない。
そんな思いを手放すために、S君は今日の朝、私の脳裏によみがえってきてくれたのかもしれない。
頑張らないと、好きなことをやらないと夢はかなわないよ。
努力はいくらなんでも必要なんだよと。
そして続けないと。
日常生活は私の瞑想。
まだ夢を追い続けるつもり?
こんな歳だからこそ、できることもあるのじゃないかな。
死ぬまで、好きなことはしていきたい。
じゃあ、好きなことって何?
やろうとするときに、努力を我慢と思わなくていいこと。
頑張らなくても、あー好きだなあと思ってやれること。
はて?何かな?