これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

失せもの

2021-03-31 10:42:01 | 日記

失くしてしまったものが、突然現れることって、こんなことってあるのだろうか。

不思議な話です。

二か月前には、手袋が、つい、2,3日前にはイヤリングの片方が、

出てきたんです。

 

手袋は、秋田から福島に引っ越しするときに、ママ友から送られた、大事なもの。

イヤリングは、学生の時に東京新宿の路上で手作りのアクセサリーを売っていた人から買ったもの。

 

大事なものだから、なくした時は、あきらめの方が強かった半面、必ず出てくるような気がした。

 

手袋は何度も探した車の中から出てきた。絶対になかったよね、というところから。

イヤリングは、道端に落としてしまったと思い込んでいたが、会社の椅子の下敷きになっていた。

掃除機もかけ、吸われても仕方がない状況なのに、何度も見たところから、出てきた。

見間違いと済ませれば、それまでだが、、、

何とも不思議な出現の仕方に、わくわくが止まらない。

それとも、まさか、認知機能が衰えたのか?いやいや、まだ、まだ、勘弁してください( ;∀;)

 


春の味がする

2021-03-27 10:24:05 | 日記

この間から伸びきったフキノトウをどうしようと思っていたら、末っ子のママ友のfacebookで吹き味噌を作ったとの投稿があった。

作り方を教えてくれて、早速今日の朝の収穫をして作ってみました。

猫の額ほどの花壇に、フキノトウの花が、こんなに咲いてました。

亡き父もよくフキ味噌を作って送ってくれたっけ。

茎の部分は煮てみました。

とってもフキの香りがして、春をいただいた感じとなりました。

日本っていいな、四季折々を楽しめて。

地球さん、ありがとうという気持ちになりました。

ありがとう。

一人で食べて、贅沢だぁ(#^.^#)


留守番電話

2021-03-24 11:32:09 | 日記

固定電話を留守番機能を生かして留守番にしました。

その時、録音がいっぱいになっていたので、今までの留守電の消去をしました。

その中には10年以上前の録音がありました。

母の義理の姉(母の兄のお嫁さん)が、相馬弁交じりで録音されていました。

それと、自分の声も。

なんだか懐かしくなり、留守番電話の録音、ひとつだけのこして、あとは削除し、新たに留守番機能をオンにしました。

もちろん母の義理の姉の一つだけ。

母の義理の姉は、一人暮らしで、もう、90歳は超えています。おいくつかは正確にはわかりません。

耳が遠い以外は、おげんきで、暮らしているようです。

 

お彼岸を過ぎてから、毎日が、新たな発見で、面白いです。

この頃は、早く就寝しているので、毎日が短いです。

花粉症も、いっぱい寝ているせいか、ひどくならずに済んでいます。

よかった。よかった。

ちなみに、留守電にしてからは、一度も電話はかかってきていません(^^)/

 


固定電話

2021-03-16 12:39:11 | 日記

固定電話があるおうちは今どき少ないと思う。

あっても、迷惑防止の対策をしているおうちが増えてきている。

私も、もう、電話帳に載せていないし、母親が亡くなった時点で、固定電話を外そうかと思った。

なぜなら、かかってくるのは、何らかのセールスマンからがダントツに多いからだ。

インターネットを引いているので、電話回線は外せないが、電話に出ないでおこうと思うのだが、つい、重要な電話かもしれないかと思い、出てしまう。

そしてでたあとで、気分が悪くなり、やっぱり今度からは出ないでおこうと決心しなおすのだ。

本当に重要なことは携帯電話にかかってくるに違いないのだから。

何が気分悪いのかといえば、これは私だけなのかもしれないのだが、

「奥様はいらっしゃいますか?」と言ってくることに腹を立てる。

奥様って何?

いませんけど、というと、インターネットのわかる方はいらっしゃいますかとくる。

私は奥様じゃないし、ひとりぐらしなのだから、ほかの人を求められても、いない。

なんだか、意地悪ばあさんのようだが、こんな歳でも、インターネット回線のことなら私が管理しているし、年配の女性はみんな奥様なのかい?と、事情も知らない相手に、イライラする。

奥様って何?

やっぱり解せない。

落ち着け私。

大きな心を持て。

イヤーだー。

駄々をこねてみよう。

突然の固定電話の着信はやっぱり迷惑だ。

 

 


日常生活と瞑想

2021-03-10 10:24:07 | 日記

日常生活をしているといろいろな思いが沸き起こってくるのは私だけなのだろうか。

みんなクリーンな気持で毎日を過ごしているのだろうか。

今の私は過去のことの、いろいろな悲しい出来事や悔しい思いが次から次に沸き起こってくるという状態がここ何日か続いている。

以前とは違った環境、一人暮らしでの気楽さ、仕事の内容等、全く違う環境での生活。

まさに、瞑想をしているような日常なのだ。

雑念を消していく作業を今、しているのかもしれない。

 

きょう、朝起きたときに、一人の同級生が頭の中に浮かんだ。かりにS君としよう。

S君は、中学校の時、父親が亡くなったために、引っ越しをして、中学を卒業したあと、高校に行けずに大工さんになったと風の便りで聞いた。

男子だったが、話が合いクラスの中でも仲良しだった記憶があった。

もちろん、子供だったから、気兼ねなく言い合いをし喧嘩もした。二人とも絵をかくのが好きだった。

小学校か中学校の美術の時間に、先生がその子と私の絵を並べて、「どっちがうまい絵だと思う?」とみんなに聞いた。

先生が「私の絵の方がうまいと思う人?」といったときには、ほとんどの子が手を挙げた。

しかし、先生は「僕はそうは思わない。S君の絵の方がいいと思う。」

今の時代にそんなことを言ったら、私の親が黙っていないだろうぐらいの、発言だと思うし、絵って、比べるもんじゃない気がする。S君の絵はいわばピカソのような絵。私の絵は写実的な絵で、確かに景色を映しただけ。

結果、私は傷ついただけだった。

そんな彼と、再開したのはなんと大学の校舎の中。

すぐに分かった、たぶん20歳ごろの時だったと思う。

後輩として入学してきたのだ。

そして、再会を喜ぶはずだったのに、彼の第一声が「なんだ、優秀な高校を卒業しても俺と同じ大学か」

ふん といったかどうかは定かじゃない。

またしても、がっかりした。

いわれたことにことにじゃなく、そんなことを言う人になっていたのかということに、がっかりしたのだ。

S君は頑張って、大検を取って、またまた頑張って大工さんになったから建築士を目指して建築学科に来たのね。

 

私はというと、建築士にもなっていない。

今は、絵もかいていない。

そんな思いを手放すために、S君は今日の朝、私の脳裏によみがえってきてくれたのかもしれない。

頑張らないと、好きなことをやらないと夢はかなわないよ。

努力はいくらなんでも必要なんだよと。

そして続けないと。

日常生活は私の瞑想。

まだ夢を追い続けるつもり?

こんな歳だからこそ、できることもあるのじゃないかな。

死ぬまで、好きなことはしていきたい。

じゃあ、好きなことって何?

 

やろうとするときに、努力を我慢と思わなくていいこと。

頑張らなくても、あー好きだなあと思ってやれること。

 

はて?何かな?

 

 

 

 

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。