一緒に生活しても良い?と私が言ったのはちょうど4年半前でしたね。九月のことです。
良いよーって喜んでくれましたね。
私はまだ主人が亡くなって一年しかたっていなかったので、家を離れて母と暮らすには気が引けましたが、緊急を要する事態でしたので母の所に行く決心をしたのですよ。
震災後、三か月間は東京の姉の所にいて、ひどい目にあったといってましたね。
6月に自分の家に帰ってからは、近所の人にパンばっかり食べさせられたといってましたね。
私にも姉はひどいと言ってましたね。
確かに東京に行ってた時にはどこにも行けず、姉は仕事が忙しく、母の面倒は満足に見れなかったかもしれません。
でも、姉は、東京のマンションに母を置いて、知らない街のどこかに行ってしまわないように閉じ込めてしまうしかなかったのですよ。
しかも,母が東京に着いて4日後に孫が生まれて大変だったのですよ。
本当に、だれが悪いのだとかはないのに、みんな大変な思いをしましたね。
姉と母は一緒にはいられずに、三か月で震災の傷跡が残る地域のある家に帰ってきてしまいましたね。
幸い、家も無事で、原発の影響もなく、住むことができました。
震災があったことは、きれいさっぱり忘れていましたね。
明日で〇五年がたつのですよ。
あの世で、そうだったのかと、納得していることと思います。
今日は、あなたの愛するお父ちゃんの誕生日ですね。
あの世で会えましたか?
一番かわいかった末娘にもあえましたか?昨日は命日だったので、お墓に行ってきましたがわかりましたか?同じ9日という月命日だから、おかげで、お墓に忘れずに行くことができます。忘れたことはなかったですがね。いつもひとつ違いの妹のことは忘れたことはなかったです。
自分の母上と父上にはどうですか?
兄姉にはどうですか?
私はあなたの姉じゃなく、あなたの次女だとやっとわかったかと思います。
私は10月30日にあなたのもとに戻ってきました。
仕事は転勤という形で。。。。
でも、仕事にならなくて、辞めて別の仕事をしましたが、やっぱり仕事に影響が出て仕事を辞めましたね。施設には預けないでいたからですが、それでよかったと思っていますよ。
さあ、まだまだ報告することがありますが、、、
きょうはここまで。
在りし日の思い出は尽きませんね。
私も仕事を捨てて母の介護をしてました。
最後は我が身の健康が危ういと感じ、私が倒れたら誰が母を・・・と考え、母を特養入居待ちでロングショートに出しました。
が、今、それを後悔してます。
なんで、もうちょっと頑張れなかったのかと。
いくつ年を取っても"母は特別です"。
明日は3.11。
若くしてご家族を失われた人がたくさん。
テレビで特集してるのを見ました。
言葉、失います。
失礼しました。
つたない文章ですが、読んでいただければと思います。