昨夜、たっぷりと雨が降りました。
今朝は小糠雨です。
庭の花が雨粒を纏ってキラキラ輝いています。
バラと真珠?
百合の蕾
ブルーベリー
アジサイの蕾
ガウラ
キンセンカ
ギボウシ
ヒイラギ新芽
昨日の晩御飯
長崎の皿うどんとトマトと新タマネギサラダ
舞茸、しめじ、エリンギなど、キノコをたっぷり入れました~
青味野菜はミニ菜園の絹サヤとチンゲン菜です。絹サヤはこれで収穫終了。
昨夜、たっぷりと雨が降りました。
今朝は小糠雨です。
庭の花が雨粒を纏ってキラキラ輝いています。
バラと真珠?
百合の蕾
ブルーベリー
アジサイの蕾
ガウラ
キンセンカ
ギボウシ
ヒイラギ新芽
昨日の晩御飯
長崎の皿うどんとトマトと新タマネギサラダ
舞茸、しめじ、エリンギなど、キノコをたっぷり入れました~
青味野菜はミニ菜園の絹サヤとチンゲン菜です。絹サヤはこれで収穫終了。
庭に水遣りだけのつもりで出たのですが、つい、あれこれとやってしまいます。
そんな時に限って顔に何も塗らずにいますので、日焼けでシミが増えてしまいます。
今更ですが…
お隣さんから頂いたカーネーション、根詰まりを起こす前に大きな鉢に植え替えました。
さて、昨日は近所の八百屋さんで大きな独活を一本買いました。
一本380円でした。
皮を剥いて酢水に晒します。
捨てるところはありません。
子供の頃、祖母に、ユキは独活の大木、と言われました。
良い意味ではないことは子供心にもわかりました。
祖母も、大きな図体して役立たずという意味の諺だと説明してくれました。
因に、私はひょろひょろと背が高くてキリンさんというあだ名がありました。
私は、お手伝いをして祖母の役にたっているつもりでしたので、祖母の言葉は心外でした。
厳しい祖母は叱る時はいつも格言を持ち出していました。
李下の冠、瓜田の履、武士は食わねど高楊枝など…
独活のフルコース料理
この独活の産地は多分、立川では?
日の当たらない地下で育てているのですよね。
メインは辛子酢味噌あえ
シャキシャキして美味
皮は千切りしてきんぴらに…絶妙なお味、ご飯が進みます
穂先と皮を天ぷらに…柔らかくて美味…我が家は米油を使います
庭の春菊、サツマイモ、茄子、新タマネギも揚げました~
大満足の昨日の晩御飯でした~
親方の掛かりつけクリニックに付き添っていきました。
三カ月ぶりです。
こんな時期、行きたくなかったのですが、ずっとお薬だけ頂きに行っていましたら、先月、検査するように言われてしまいました~
腎臓と尿酸値の数値が悪くて治療中ですから、ドクターも経過が知りたいですよね。
いつものように混んでいて、二時間待ちでした。
コロナが怖くて、検査と診察が終わり、薬局でお薬を頂くと、寄り道せずにさっさと帰宅しました
お昼ご飯は簡単に、千切りキャベツと目玉焼きをご飯に乗せて頂きました。
それに、昨夜のハンバーグの残りと( ^ω^)・・・
シンプルですが意外と美味しかったですよ。
クリニック近くのビルの花壇
椿の花のようなバラ
爽やかな青空に白い雲。
黄砂は大丈夫そうかなと思っていましたが、風が出て来て霞ん来ましたよ。
車庫前のバラがきれいに咲いているせいか、手入れをしていると通りすがりの方によく声を掛けられます。
耳が遠いので何度も呼ばれたりします。
昨日は、知人が車庫の扉越しに話しかけてきましたが良く聴きとれません。
待ってねと、マスクをかけて補聴器を付けました。
私が手術した同じクリニックで下肢静脈瘤の手術をするので様子を聞きたかったご様子。
庭に入って頂いてお花見しながら少しばかりお話ししました。
ちょっとばかり、手術の不安が去ったようで良かったわ。
お土産にラベンダーを手折り、レモンバーム、ミントを抜いて差し上げました。
私も彼女のお庭のお花やサラダ菜を頂いたりします。
お花に誘われて、暫しの交流でした。
ゼラニュームとペチュニア
庭のあちこちに種が飛んで咲いています
ティアレアとペチュニア
ヒルサキツキミソウ
毎日、同じ内容のブログ。
ただ、休まずに更新しているだけのマンネリブログ。
自分でも、ちょっと嫌気がさしてきて休もうかなって思ってしまいます。
でも、日記代わりのブログだから、別に新鮮なネタがなくても良いかと居直る私もいます…
という訳で、本日も独りよがりブログを更新します。
今日は母の日。
娘が逝ってから、母の日が寂しくなりました。
子供たちから母の日をお祝いしてもらったことは私の大切な宝物です。
私は10歳で生母と別れていますから、母の愛をよく知りません。
色々とありました…
語ればドラマの脚本が書けるほどです。
母は享年64歳で逝きましたが、周りの方のお話によるといつも置いてきた私のことをよく話していたそうです。
お嬢さん育ちの母は、母性に欠けるところがある人でしたが、母なりに私を慈しんでくれたのでしょう。
戦後の物のない時代、母手作りの刺繍入りのワンピースや手編みのセーターを着ていると周りの人によく褒められたものです。
それなのに、私は、捨てられたという思いで、長い間、母を心の中で頑なに拒否していたのです。
いまにして思うと、もっと優しく母に接してあげればよかったと思うことです。
まさに、後悔先に立たずです。
母に心から感謝していることは、終戦を中国の新京で迎え、女手一つで四歳の私と一歳半の弟を連れて
命からがら日本に引き揚げてきたことです。
商社マンだった父は現地召集、終戦と同時に家族の許に戻ってきましたが、ソ連兵に捕まり、シベリアに抑留されたのです。
厳しい抑留生活を送り、ボロボロになって復員しました…
その後も色々ありました…
今日はお隣さんから頂いたカーネーションを部屋に飾って母の日をしみじみと過ごしました。
ブルーと黄色の花に元気をもらう