書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

蘇軾・李白仙詩巻(1093)

2006-09-19 06:30:36 | Weblog

黄州寒食詩巻と共に蘇軾の名を不動の物にしているのがこの詩巻である
李白の詩二首を書いた物であるが、李太白集には載っていない。
李白の詩であるかどうか疑う面もあるが、
多分、李太白集には洩れていたのであろう。

人生燭上華 光減功妍盡


蘇軾・宸奎閣碑(1091)

2006-09-18 07:09:23 | Weblog

盧山の高僧が仁宋から賜った詩を宸奎閣に収めたが、
後年、蘇軾が杭州の太子の時に請われて碑文にしたためたものである。
東福寺の開山聖一国師が宋拓を持ち帰っているが、
これも蘇軾の楷書としては最も信ずべきものとされている。
このような経緯で日本へ渡っている古拓は数知れない。
国宝級のものも多々ある。

蘇軾・豊楽亭記

2006-09-16 07:00:48 | Weblog

師である欧陽脩の文章を蘇軾が書にし石刻した物である。
「共」の字の横線には苦労した。
何回書いても掛けなくて、遂に、ギブアップした。
羊、狼、馬・・、長峰、中峰、短峰・・いろいろ組み合わせてみたが、
再現できない。
いずれ再挑戦しなければならない一筆だ。

蘇軾・黄州寒食詩巻(1082)

2006-09-15 07:19:28 | Weblog

蘇軾が黄州(今の華北)へ流されていた春、
寒食を迎えた時の詩だ。
うら寂しい心境を綴ったものであるが、
疎にして密、緩にして急、な揺ぎ無い筆勢の見事さもさることながら、
深い教養、真摯な道徳感に裏打ちされた奥の深さが滲み出ている傑作である。
後世の書家が挙って絶賛している。

蘇軾(1036-1101)・洞庭春色賦

2006-09-14 07:17:55 | Weblog

蘇軾(1036-1101)
字は蘇東坡。
政争に破れ政治家としては不遇な生涯を送ったが、
その不遇な生涯を糧として、優れた天分と豊かな情操を駆って、
学問、宗教への深い造詣、を基盤に才筆を揮い、
その詩文は当時の人々に大きな感銘を与えたのである。
書、画にも通じ、
典型的な宋代文人として世の崇拝の的になった。
その書には、
「人格」「気迫」「筆力」「線の豊かさ」「生気」
が紙面に踊っている。


洞庭春色賦
古今の文人がこぞって洞庭湖を訪れ詩を残している。
李白、杜甫、白居易、孟浩然・・・・数え上げたらきりが無い。
           
昔聞洞庭水 今上岳陽楼
呉楚東南拆 乾坤日夜浮
親朋無一字 老病有弧舟
戒馬関山北 凭軒涕泗流
            杜甫

八月湖水平 涵盧混太清
気蒸雲夢澤 波撼岳陽城
欲済無舟楫 端居址経明
坐観垂釣者 徒有羨魚情
           孟浩然

蘇軾もきっと岳陽楼から洞庭湖を眺めているに違いない。

蔡襄・顔真卿自書告身跋(1059)

2006-09-11 07:24:51 | Weblog

顔真卿自書告身の後ろに蔡襄が書いた跋である。
跋とは「俺は此れを見たぞ」という記録なのだが、
これがまた大変な代物なのだ。
例えば、
この「顔真卿自書告身跋」であるが、
私淑する顔真卿の為に蔡襄が書いたもので、
顔真卿の書に関する所見を知る上で貴重であるが、
蔡襄そのものの書風、考え方などを知る上でも貴重な資料なのだ。

この跋などは一見顔真卿の書と見紛う程顔真卿流だ。
敬意を表したのであろう。