ちょっと歴史入門 <3>空白の4世紀

2013-03-10 09:11:24 | ちょっと歴史入門

240年代に卑弥呼が亡くなり、その後、男王が継ぎましたが、内乱が勃発!

台与が王に就くと、乱は終結しました。

しかしそれ以降、266年~413年まで歴史は分かっていません。

唯一の史料であった中国の文献に、倭の記述がないんです。

でも時の流れは、突然消えたり、飛び越えたりしません

邪馬台国から大和朝廷に変わっていった流れがあったはずです。

しかし現在のところ、それが判明できるのものは何もありません。

これが「空白の4世紀」です。

 

日本書紀や古事記(まとめて記紀といいます)には、

神代、天孫降臨、神武東征の時代から記されています。

しかしこれは8世紀初めに完成したもの。

「伝承」であって「史実」ではありません。

 

また記紀に記されている天皇の年齢は・・・・ちょっとありえない年齢なんです。

日本書紀の「第12代 景行天皇」で例にとってみると・・・・

誕生は垂仁17年、立太子が垂仁37年、垂仁99年に父天皇の崩御で即位。

これだけ見ると、すでに82歳の高齢で即位したことに・・・・。

その上、在位60年で崩御したと・・・・。

古事記で137歳、日本書紀では143歳だったと・・・・・。

ありえないでしょう。

ちなみに第10代 崇神天皇は古事記で168歳、日本書紀では120歳で崩御と・・・・・。

なので、記紀の記述を元に、年代を遡ると、とんでもないことになってしまいます。

 

年代が確かで、史実であると確証ができるのは、5世紀後半からなんです。

それまでの記述は「伝承」であり、記紀で年代が異なったりして不確かな事から、

邪馬台国の「畿内説」「九州説」や

卑弥呼が「倭迹迹日百襲姫命説」や「神功皇后説」などの論争が現在も終結しないんです。

 

 

空白の4世紀、それは邪馬台国から大和王朝への変換期であり、

現在も歴史の謎の一つです。

 

 

 

 

次回は・・・・・「古墳時代」

 

 

<空白の4世紀 関連記事>

謎は・・・・-崇神天皇陵-

 

<前回>ちょっと歴史入門<2>倭国大乱

<次回>ちょっと歴史入門<3>倭の五王

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。