240年代に卑弥呼が亡くなり、その後、男王が継ぎましたが、内乱が勃発!
台与が王に就くと、乱は終結しました。
しかしそれ以降、266年~413年まで歴史は分かっていません。
唯一の史料であった中国の文献に、倭の記述がないんです。
でも時の流れは、突然消えたり、飛び越えたりしません。
邪馬台国から大和朝廷に変わっていった流れがあったはずです。
しかし現在のところ、それが判明できるのものは何もありません。
これが「空白の4世紀」です。
日本書紀や古事記(まとめて記紀といいます)には、
神代、天孫降臨、神武東征の時代から記されています。
しかしこれは8世紀初めに完成したもの。
「伝承」であって「史実」ではありません。
また記紀に記されている天皇の年齢は・・・・ちょっとありえない年齢なんです。
日本書紀の「第12代 景行天皇」で例にとってみると・・・・
誕生は垂仁17年、立太子が垂仁37年、垂仁99年に父天皇の崩御で即位。
これだけ見ると、すでに82歳の高齢で即位したことに・・・・。
その上、在位60年で崩御したと・・・・。
古事記で137歳、日本書紀では143歳だったと・・・・・。
ありえないでしょう。
ちなみに第10代 崇神天皇は古事記で168歳、日本書紀では120歳で崩御と・・・・・。
なので、記紀の記述を元に、年代を遡ると、とんでもないことになってしまいます。
年代が確かで、史実であると確証ができるのは、5世紀後半からなんです。
それまでの記述は「伝承」であり、記紀で年代が異なったりして不確かな事から、
邪馬台国の「畿内説」「九州説」や
卑弥呼が「倭迹迹日百襲姫命説」や「神功皇后説」などの論争が現在も終結しないんです。
空白の4世紀、それは邪馬台国から大和王朝への変換期であり、
現在も歴史の謎の一つです。
次回は・・・・・「古墳時代」
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<前回>ちょっと歴史入門<2>倭国大乱
<次回>ちょっと歴史入門<3>倭の五王