ちょっと歴史入門<12>長屋王の変

2013-04-26 22:02:23 | ちょっと歴史入門

710年、藤原京から平城京に遷都。

この後、平安京に遷都する794年までを奈良時代といいます。

 

 

712年、天武天皇の命で編纂されていた「古事記」が完成、献上され、

翌713年には「風土記」の編纂が命じられます。

 

715年、元明天皇は老いを理由に退位、太上天皇となり、

娘・氷高皇女が即位します。

第44代・元正天皇です。

結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇です。

 

元正天皇は文武天皇の同母姉。

この時、文武天皇の皇子・首皇子は13歳頃。

まだまだ即位するには幼い、ってことで、再び中継ぎの女帝が誕生したわけです。

 

皇位継承権利のある皇子は、天智天皇の皇子・天武天皇の皇子を多くいたわけですが、

皇位を我が子に・・・という持統天皇の思いがここにも続いているわけです。

さらに首皇子の母は、藤原宮古。不比等の娘です

不比等の「藤原の血を皇統に」という願いもあったわけです。

 

さて、元正天皇の時代、日本の正史である「日本書記」が720年、完成します。

時同じくして、不比等が病の床につき、左大臣に皇族である長屋王が就任。

長屋王は父は天武天皇も第1皇子・高市皇子で、

母は元明天皇の同母姉・天智天皇皇女で御名部皇女。

妻は元正天皇の妹・吉備内親王。

もっとも皇位に近い人物で、皇親勢力の中心人物でした。

 

724年、伯母である元正天皇の譲位を受け、首皇子が即位します。

第45代聖武天皇です。

 

一説には、

次の皇位に、血統確かな「長屋王」を押す派と、

藤原の血を引く「首皇子」派があったといわれます。 

 

 

即位した聖武天皇の妃(夫人)は、藤原不比等と後妻・県犬養三千代の血縁で押さえられていました。

安宿媛(あすかべひめ)は 藤原不比等と後妻・県犬養三千代の娘ですし、

県犬養広刀自は、三千代のはとこの孫、

他の夫人も藤原不比等の孫や三千代の孫が嫁いでいます。

 

どの皇子が皇位についても、二人の後ろ盾が入ることになるのです。

 

しかし事件が勃発します。

724年、聖武天皇が母である藤原宮古を「大夫人」と称するとした勅を発します。

これに異を唱えたのが、長屋王。

「大夫人」という尊称は、存在しない尊称でした。

それに該当するであろう尊称は「皇太夫人(=天皇の生母、前天皇の夫人)」で、

「大夫人」を使うという勅は、制定された律令(法)を曲げることになります。

聖武天皇は一旦撤回し、文章上の呼称は「皇太夫人」、

口頭での言葉は「大御祖(オホミオヤ)」とする詔を出して事態を収拾しました。

これを「辛巳(しんし)事件」といいます。


この事件を発端に、長屋王(皇親勢力)VS藤原四兄弟(不比等の子)の対立が激化します。

藤原氏側は、臣下出身の生母に、特別な称号を与え、

格式を高めようとしたのではないかと考えられます。



727年、聖武天皇と藤原光明子の間に待望の第一皇子・基皇子が誕生。

生後32日で立太子しますが、翌年、夭折します。

この幼すぎる死は、長屋王の呪いだと噂が立ち、

聖武天皇も疑心暗鬼になります。

長屋王は先代天皇・元明天皇の信頼も厚く、皇位に最も近い人物。

聖武天皇や産まれたばかりの第二皇子・安積親王(母は非藤原氏)に何かあった場合、

天皇の叔母・吉備内親王が産んだ長屋王の子どもたちに、

皇位が繋がることも、ありえるわけで。


729年、「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」という密告を受け、

軍勢が長屋王の邸宅を包囲。

長屋王は妃・吉備内親王や子どもたちの首を絞め、

その後、服毒自殺します。


長屋王は無実の罪だったといいます。

 

この一件を「長屋王の変」といいます。

この事件後、聖武天皇の妃の一人、安宿媛を皇后とするという詔が出されます(光明皇后)

王族以外から立后された初めて例であり、

この後続く、藤原氏の子女が皇后となる先例となります。



次は・・・・・・「仲麻呂の乱」

 

 

<歴史入門シリーズ>

ちょっと歴史入門<1>先史時代

ちょっと歴史入門<2>倭国大乱

ちょっと歴史入門<3>空白の4世紀

ちょっと歴史入門<4>倭の五王

ちょっと歴史入門<5>古代国家の成立

ちょっと歴史入門<6>豪族の台頭

ちょっと歴史入門<7>乙巳の変

ちょっと歴史入門<8>大化の改新

ちょっと歴史入門<9>壬申の乱

ちょっと歴史入門<10>白鳳文化

ちょっと歴史入門<11>藤原氏の台頭

ちょっと歴史入門<まとめ・1>

ちょっと歴史入門<まとめ・2>

 

 



 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。