女人禁制だった高野山に対して、
女人の入山が許され、「女人高野」の代名詞を持つ、
奈良県宇陀市にある室生寺。
680年、役小角(えんのおづの)の創建、
空海が中興といわれています。
げっ、山の上になんかある!!
・・・・奥の院・・・・
仕方ない・・・・頑張るか・・・・
(o´д`)=эハァー
近代に再建された仁王門をくぐると・・・
なんか、気持いい空間
最━━━━。o.゜。(+´∀)八(∀`+)。o.゜。━━━━高!!
しかしその横手に構えていたのが、
鎧坂!!
かなり急な石段です。
石段を登りきると、そこには金堂。
今回、特別拝観(拝観料400円別途)されていました。
内部には・・・・須弥壇上に十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、
本尊・釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が、横一列に並んでおり、
それらの像の手前に、十二神将立像(重文)が並んでました。
金堂の横手には、弥勒堂。
中央の厨子に、本尊・弥勒菩薩立像(重文)。
右側には釈迦如来坐像(国宝)が安置されています。
弥勒堂の正面には、天神社があり、
天神社拝殿の脇にある岩には明王像が彫られていました。
さて、金堂の横にある石段を登ると、本堂である灌頂堂がありますが・・・・・
本堂の横の塔に「???」ってなりました。
桂昌院?!
桂昌院は、五代将軍・徳川綱吉の母。
江戸時代、室生寺は興福寺の法相宗から離れて真言宗の寺院となりますが、
それは桂昌院の力添えがあったためです。
桂昌院の力で真言宗になったのに、高野山のように女人禁制では、意味がなかったんでしょうね。
なので、女人の入山が許され「女人高野」と呼ばれるようになったようです。
さらに本堂の横手奥には・・・・
伝・北畠親房墓と呼ばれる五輪塔が。
北畠親房は南北朝時代の公卿で、
後醍醐天皇が亡くなると、まだ若い後村上天皇を擁して、
南朝を動かした中心人物です。
ただ、墓所は奈良県五條市賀名生にあるといわれるため、「伝」です。