平成27年2月20日 午後6時ごろ
父が亡くなりました。
75歳でした。
いつもより少し早めに仕事が終わり、新刊が出てるから、といって本屋さんに寄り、家に帰りついたのが、午後9時半ごろでした。
父と2人暮らし。
平成22年に高知から父を引き取り、一緒に暮らしてました。
脳梗塞の後遺症で、飲み込みと、右半身に麻痺が残ってましたが、口だけは健在で(笑)
アンパン大好き、甘いもの大好きな父。
父のお菓子や甘味の方が、買い物の時は多かったです。
自宅に帰ると、父の部屋の明かりが点いていて、玄関口の電気もついていました。
部屋のドアを開けると、リビングの明かりも点いていて・・・・
珍しい・・・起きてる・・・・
と思ったのが、平常心を持てた最後でした。
台所で倒れていた父。
声を上げ、名を呼びますが反応はなく。
119番で心臓マッサージを支持され、救急隊を待ちますが、
駆け付けた救急隊がつけた心電図の音が、
ピ------------------
そのあと、警察が訪れ、検死・鑑識が行われ、翌日死亡診断書ではなく、死体検案書を渡されました。
死因は推定・急性心臓死。
監察医の先生からは、
お父さんの心臓は寿命を迎えたんだ。
と・・・・・
ん?と思った10秒後には意識を失い、そのまま心臓が止まったと思います。苦しまずに亡くなったと思います。
その言葉だけが、私の救いでした。
後悔はあります。
父の最期を看取ってあげられなかったこと。
3時間近く、一人寂しく残していたこと。
たくさん悔やまれることはあります。
それでも葬儀の際、お寺さんが、
「往生」というのは仏の世界に生まれ変わること。残してきたの者たちの支えとなるために、極楽浄土で修業するのです。
まだまだ父を思い出すと、涙が出ます。
生きていた時は、頑固で、腹が立つこと、たくさんありました。父のために、遠出ができず、出かけても夕方には夕飯を用意するために自宅に戻らなければなりませんでした。
それでもこの4年半、父と暮らした毎日が突然、一人になってしまった寂しさは、
もちろんすぐに癒されることはありません。
監察医の先生、お寺さんの言葉で、ようやく前に進み始めたばかりです。
父が生きていた、父の最期がどんな状態だったのか、
自分のためにも、この記事を書こうと・・・・。
ありがとう、お父ちゃん。
ごめんね、お父ちゃん。
来月、戻りたかった地元・清水に連れて帰ります。