天武・持統天皇の皇子・草壁皇子を父に持ち、
天智天皇の皇女・阿閇皇女(あへのひめみこ)を母に持つ軽皇子は、
祖母・持統天皇の後押しを受け、697年即位します。
第42代 文武天皇です。
天武天皇の数多くの皇子を差し置き、即位できた裏には、
1人の人物の功績があったとも言われています。
「藤原不比等」
天智天皇の寵臣・中臣(藤原)鎌足を父にもつ不比等は、
壬申の乱の時、どちらにも与せず、助かりましたが、
その反面、後ろ盾を失いました。
下級官吏から始めた不比等を引き上げたのは、持統天皇といわれます。
実は鎌足の子ではなく、天智天皇の落胤であるという説があります。
また不比等の母が車持の娘で、「竹取物語」に出てくる5人の皇子の一人、
車持皇子のモデルとも言われています。
不比等は後妻に、軽皇子(文武天皇)の乳母をしていた県犬養三千代を迎え、
皇室との関係を深め、文武天皇の夫人に娘・宮古を嫁がせます。
また父・鎌足の送られた「藤原朝臣」の姓を、鎌足の直系にのみに限定させます。
この後、平安の都を治めた「藤原家」の始まりです。
さて、文武天皇は若くして崩御します。
次代を継ぐべく皇子は幼く、母・阿閇皇女が皇位を継ぎます。
707年、女帝・第43代 元明天皇が誕生します。
708年、日本発の流通貨幣である「和同開珎」が鋳造され、
平城京遷都の詔を発布し、710年遷都します。
奈良時代のスタートです。
次回・・・・・「長屋王の変」
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