隊商都市ペトラ遺跡 ペトラ(ギリシャ語で岩)
11月は乾期に入っており、長袖ブラウス 風よけパーカー など日本とあまり変わらない気候でした。
私達20人のグループは 昼食をとるレストランまでの往復を 馬車にも、駱駝🐪にも、山羊にも乗らず 歩きましょう!
と 出発しました。行きは緩い下り坂、帰りは登り坂でした。
私達が歩いたファサード通りの両側や奥には広大な遺跡群が広がっているようです。
王家の墓、宮殿の墓 コリント式の墓、 シルクの墓、 壺の墓、青い教会、大神殿、有翼ライオンの神殿、
奥に800階段の上にエド・ディルEd・Deir( 修道院 )があります。エル・ハズネとよ似ています。
BC1世紀~AD1世紀にアラブ民族ナバタイ人が建設した都市
この地はシルクロードにもつながる隊商路の要衝であり、インドやアラビア半島との交易で栄えました。
乳香もその一つ、今の世も魅了する品ですね。
ナバタイ人は元来遊牧民で、この地域を通るキャラバン隊に安全を保証することで財政を潤わせていました。
ナバタイ人は多宗教でした。
エル・ハズネ El・Khazneh 宝物殿とも墓、葬祭殿とも 上の壺の中に宝物があるとか
石版 (ドシャーラ&ウッザー)神様 よく見えません。 ナバタイ とは「水を掘る人」を表すセム語 ここに水道管があったそうです。
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シーク (狭い岩山の裂け目) 巌窟墓群 手前 WI-HI OKの店あり 円形劇場 106年ローマ帝国に併合され、街並みが変わる。 |
列柱通りの端の凱旋門 |
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カスル・アル・ビント ペトラ遺跡の中で最も重要な神殿の一つ |
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AD1世紀初頭の最盛期には人口3万人の賑わいがあったといいます。
ローマ支配の後、363年に大地震があり、壊滅的な打撃を受けました。
商隊ルートが紅海の海上交易へと移ってゆき、6〜7世紀にかけて人が住まなくなり、衰退してゆく。
1812年スイス人により再確認される。
ペトラ遺跡
次は死海 をご紹介します。是非ご覧ください。
く見せて頂いています
広大な岩と砂の世界 峡谷の壁 神殿や
墳墓で見られる削られた柱や装飾などは
本当に美しく感動しました
異文化に触れて心が豊かになりますね
フォトチャンネルの最後のページ
ベドウィンと馬とラクダの写真が特に好きです