「琵琶湖の水を京都に引く」は江戸時代から京都人の夢でした。
東京遷都から人工減少、産業が衰退した京都を琵琶湖の水で再生させる。
創健者 北垣国道(知事)、技師 田邉朔朗(東大工学部 卒論に琵琶湖疏水)のお二人を中心に尽力がそそがれました。
疎水の入り口 奥に閘門(こうもん)の扉が見える 閘門 水位が下がり、疎水の高さになる
閘門が開いて奥に代1トンネルの入口が見える 扁額 伊藤博文 気象萬千(様々に変化する風光は素晴らしい)
第一トンネル 2,436m 重機もない時代で、手掘り。立坑も掘る。
山科で下船 蹴上駅まで歩く途中で、水力発電所(1892完成)
洞門 扁額 当時の方々の心意気を感じる
北垣国道 (京都府知事)創建
明治18年(1885)田邉朔朗 工事責任者となる
明治21年(1888)工事が始まる 田邉朔朗米国コロラド州へ水力発電の視察に行く
明治22年(1889)第一トンネル2,436m 第3トンネル(849m)貫通
明治23年(1890)完成 田邉朔朗28歳
明治35年(1902)第2疎水建設開始(暗渠)
明治45年(1912)第2疎水完成
疎水と呼ばれても、地上であったり、暗渠であったりする。
たまたま予約が取れなくて、山科で下船したおかげで、紅葉も楽しみました。
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