あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第4章の3(治)

2015-11-15 17:57:48 | 老子
不尚賢、使民不爭。
不貴難得之貨、使民不爲盗。
不見可欲、使民心不亂。
是以聖人治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨、常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。
爲無爲、則無不治。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
3.賢を尚ばざれば(たっとばざれば)、民をして争わざらしむ。
  得難き貨(か)を貴ばざれば、民をして盗(ぬすっと)為らざらしむ。
  欲す可きを見ざれば、心をして乱れざらしむ。
  是を以て聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹(ふく)を実らしめ(みのらしめ)、
  其の心を弱くして、其の骨を強くす。
  常に民をして無知無欲ならしめ、夫の(かの)知ある者をして敢えて為さざらしむるなり。
  無為を為せば、則ち治まらざること無し。

[口語訳]
 もし、賢者(優秀な人材)を尊重(優遇)しないならば、人々の間の競争(争い合い)はなくなるだろう。
 もし、手に入りにくい品物を貴重(大切)と思わないようにすれば、人々の間に盗人はいなくなるだろう。
 もし、人々が欲望を刺激するものを見なければ、その心は安定して乱れないだろう。
 その為、聖人の統治は、人民の心を虚無にすることによって(こだわりと欲望を無くさせることによって)、
 人民の腹を満たし(他者との競争や他者への嫉妬を無くさせ)、
 人民の心を柔弱にすることによって(意志薄弱にすることによって)、
 人民の骨を強くする(喜怒哀楽の精神の動揺を無くさせる)。
 いつも人民を無知無欲の状態にして、知性の優れた聖人がいても敢えて何も行動しないようにする。
(聖人の政治が人民に干渉しない)無為を貫けば、国が上手く治まらないということはない。

**************************************************

口語訳少し違和感がある。「其の心を弱くして」の所だ。
もちろん訳者には感謝しかない。間違いではない。
一般的な解釈なのだろう。

老子は聡明だが、小ずるいエリートではない!
冷静ではあるが、愛情の塊のような人だ!
健全な楽しみや向上心までを否定してはいないと思う。

【その心】とは、我欲から生じる「こだわり」のことではないだろうか。

だから、その部分はこう訳したい。

「人民の自我をやわらげ、こだわりを弱くすることで、心身は健康で強くなる。」

欲に目がくらみ、そのこだわりから、無理をしなければ、健康を維持できる。
目先の欲望よりも健康が大切だ!
個人も国も、作為のない素朴な姿勢で上手く治まる。

今日は七五三

2015-11-15 16:23:45 | 日記
久しぶりにのんびり過ごした。
連休だー。(少し嬉しい)

全ての子供たちの幸せを祈る。
素晴らしい子供たちがいるから、
日本の未来は明るいと思う。

大人になって、良心のまま生きて欲しい。
それが世界を救う方法だ!

匠真のお祝いできなかったこと。
今でも忘れない。
この埋め合わせは、必ずする。

ここから、匠真を応援している。
たとえ離れていても、匠真を守る。
再会を待っている。

第4章の2(相)

2015-11-15 10:53:54 | 老子
天下皆知美之爲美、斯惡已。
皆知善之爲善、斯不善已。
故有無相生、難易相成、長短相形、
高下相傾、音聲相和、前後相隨。
是以聖人、處無爲之事、行不言之教。
萬物作焉而不辭、生而不有、
爲而不恃、功成而弗居。
夫唯弗居、是以不去。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.htmlより引用

[書き下し文]
2.天下、皆、美の美為ることを知る。斯(これ)、
  悪なる巳(のみ)。
  皆、善の善為ることを知る。斯、不善なる巳。
  故(まこと)に有無相生じ、難易(なんい)相成し、
  長短相形にし、高下(こうげ)相傾け、音声相和し、
  前後相随う(したがう)。
  是(ここ)を以て聖人は、無為の事に処り(おり)、
  不言の教えを行う。
  万物は作られて而も(しかも)辞せず、生じて有せず、
  為して而も恃まず(たのまず)、功成って而も居らず。
  夫れ(それ)唯居らず、是を以て去らしめられず。

[口語訳]
 天下の人々がみんな、美が美であることを知ると、
 そこから醜悪の観念が生まれる。
 天下の人々がみんな、善が善であることを知ると、
 そこから不善の観念が生まれる。
 本当に、有と無は互いに対立概念
(反対の意味を持つもの)から生まれ、
 難しいものと易しいものは互いを規定し、
 長いものと短いものは互いに長さを明らかにし、
 高いものと低いものは互いに限定し、音声は互いに調和し、
 前と後ろは互いにその順序を決めている。
 その為、聖人は無為(行動しないこと)に依拠しており、
 言葉をしゃべらずに教えを伝える。
 万物は聖人によって働かされても、
 そこから逃げ出さない(嫌がらない)。
 聖人は物を作り出しても所有しないし、
 何か行動してもその結果に依拠せず、
 功績を上げてもそれに対する評価や報酬を求めない。
 聖人は他者の評価(賞賛)を受けようとしないからこそ、
 究極の境地である『道』から立ち去らせられることがないのである。

*****************************

他人と比べる視点は小さい。
本当は、全てが自分自身だから。

でも、自分ではない。どうする?

他人の評価など関係ない。全て良心が知っている。
褒美など求める意味がない。自分にした事だから。

自分が納得すればいい。
全て自分のものだから。。愛しかない。