あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第4章の14(紀)

2015-11-26 19:06:42 | 老子
視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。搏之不得、名曰微。
此三者不可致詰。故混而爲一。其上不、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。
是謂無状之状、無物之象。是爲忽恍。迎之不見首、隨之不見其後。
執古之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
14.之を視れども見えざる、名づけて夷(い)と曰う(いう)。
   之を聴けども聞こえざる、名づけて希(き)と曰う。
   之を搏うれども(とらうれども)得ざる、名づけて微(び)と曰う。
   此の三つの者は、詰(きつ)を致す可からず、故に混じて一と為る。
   其の上なる(きょう)ならず、其の下なる昧(まい)ならず。
   縄縄(じょうじょう)として名づく可からず、物無きに復帰す。
   是を状無きの状、物無きの象(しょう)と謂う。
   是を惚恍(こつこう)と謂う。之を迎えて其の首(しゅ)を見ず、之に随って其の後を見ず。
   古(いにしえ)の道を執って、以て今の有を御す。
   能く古始(こし)を知る。是を道の紀(き)と謂う。

[口語訳]
 目をこらしても見えないので、名づけて「すり抜けるもの(夷)」と言う。
 聴こうとしても聴こえないので、名づけて「かぼそきもの(希)」と言う。
 捕えようとしても捕まえられないので、名づけて「微小なもの(微)」と言う。
 これら3つのものはそれ以上深く調べることはできず、お互いに混じり合って一つとなる。
 それが上にあっても明るさはなく、それが下にあっても暗さはない。
 次々と縄のように続いていくので、特定して名前を付けることもできず、何者もないところへと帰っていく。
 それらは形状のない形状であり、物体のない象(すがた)であると言う。
 これを明確な姿形を持たないぼんやりとした惚恍と呼んでいる。
 これを正面から迎えても頭が見えず、これに後ろから従っていっても後ろ姿が見えない。
 古代から永遠に続く『道』を実践して、今あるものである『有』を制御することで、
 古代の全ての始まりの地点にあったものを知ることが出来る。
 これを『道』の紀(もとづな=根本)と言うのである。

**************************************************

老子様が力説している。。すごい迫力だ!

知覚では分からない何かを解説...そして恍惚について...
それが何のことか分からなくても...
過去の歴史から、今のことも、始まりのことも推測できる?
うう~ん、今回は難しい。。紀(根本?道筋?)とはいったい何だ!

見えないもの、聞こえないもの、掴めないもの。この三つは、同じものだ。
上から見ても下から見ても、どこからみても区別がつかない。
こうと決めつけて名づけることもできず、これはもう、無と呼び表現するしかない。
しかし、何だか分からないが、そこからは何とも言えない喜びが湧いている!
頭も後ろ姿も見えない、その正体は全く不明だ!一体何なんだ!
では、この無というものを、私達人類の歴史から推測してみよう!
どんなに繁栄した強国も滅びる。しかし、人類は滅びていない。なぜか?
人は助け合う。母は子を慈しむ。どんな世にも善人がおり、悪人の心にも全く善がないわけではない。
よくよく顧みれば、常に思いやりが寄り添ってくれている。どこに?自分の心に。そして、世界のあらゆる所にも。
...なるほど!この無とは、愛情だ!良心だ!これこそ道の正体だ!
だが、やっぱり言葉では表現できないのだ。

第4章の13(託)

2015-11-26 18:52:52 | 老子
寵辱若驚、貴大患若身。
何謂寵辱若驚。寵爲下。
得之若驚、失之若驚。
是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。
吾所以有大患者、爲吾有身。
及吾無身、吾有何患。
故貴以身爲天下者、則可以寄於天下。
愛以身爲天下者、乃可以託於天下。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
13.寵辱(ちょうじょく)には驚える(くるえる)が若し(ごとし)。
   大患(たいかん)を貴ぶこと身の若くすればなり。
   何をか寵辱には驚えるが若しと謂う。
   下(しも)為る(たる)ものは、之を得て驚えるが若く、之を失って驚えるが若し。
   是を寵辱には驚えるが若しと謂う。何をか大患を貴ぶこと身の若くすと謂う。
   吾が大患有る所以は、吾が身有るが為なり。
   吾が身無きに及んでは、吾何の患か有らん。
   故に身を以てすること天下の為より貴ぶものは、天下を寄す可べきが若し。
   身を以てすること天下の為より愛するものは、天下を托す可きが若し。

[口語訳]
 寵愛と屈辱は人間を狂ったようにさせてしまう。
 それは大きな災いである大患を、自分の身と同じように大切にすることだ。
 寵愛や屈辱によって狂ったようになってしまうのは何のためなのか?
 臣下である者は、寵愛を得て狂ったように興奮し、
 寵愛を失った時にはまたもや狂ったように落胆する。
 このような状態を、寵愛や屈辱によって狂ったような状態という。
 大きな災いを自分の身と同じように大切にするとはどういうことなのか?
 私達が大きな災いを受ける理由は、私達に身体があるからである。
 身体を有していなければ、私達に何の災いがあるだろうか?
 (いや、災いや不幸などないだろう)。
 その為、自分の身を大切にする欲求が天下を愛する気持ちより強ければ、
 その人に天下の統治を任せることができるだろう。
 自分の身だけを大切にする欲求が、天下のための大志より強ければ、
 その人は誰よりも大きな災いや責任を背負えるのだから、
 天下の政治を託すことが出来るのである
 (地位・名誉・富裕を求める名声欲が強い人物よりも、
 自分の身体を愛して惜しむような慎重で無為な人物のほうが天下国家の政治に向いている)。

****************************************

命あっての物種だ!(及吾無身、吾有何患)
自分自身を大切にできる人こそが、天下国家を任せるにふさわしい良い政治家なのだ。
見栄で、自分がつぶれてしまっては、何にも成せない。何にもならない。

私も、人からの評価に一喜一憂せず、自分自身を大切にして、
職場の仲間を大切にしよう!良い職場にしよう!

第4章の12(腹)

2015-11-26 18:07:59 | 老子
五色令人目盲。
五音令人耳聾。
五味令人口爽。
馳騁田獵、令人心發狂。
難得之貨。令人行妨。
是以聖人。爲腹不爲目。
故去彼取此。


以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
12.五色は人の目をして盲ならしめ、
   五音(ごいん)は人の耳をして聾(ろう)ならしめ、
   五味は人の口をして爽わしめ(たがわしめ)、
   馳テイ(ちてい)田猟(でんりょう)は、
   人の心をして狂を発せしむる。
   得難きの貨は、人の行いをして妨げしむ。
   是を以て聖人は、腹を為して目を為さず。
   故に彼(かれ)を去って此れを取るなり。

[口語訳]
 五つの華やかな色は人の目を盲目にし、
 五つの美しい音は人の耳を聞こえなくさせ、
 五つの豊かな味は人の味覚をおかしくさせ、
 野原を駆け回って狩猟をすることは、
 人の心に凶暴な狂気を生み出す。
 手に入りにくい金銭や品物は、
 それを持っている人(やそれを欲求する人)の行動を妨げる。
 その為、聖人は、腹を用いて目を用いない。
 本当に聖人は、外部世界の知覚刺激(快楽をもたらす感覚)に惑わされず、
 自己の内面の力(腹に象徴される内部に生じる気のエネルギー)を取るのである。

***********************************

自己の内面(腹に象徴される良心)を取るなり。

知覚できる我欲より腹(良心)で判断しよう!

(1/9加筆)
内面、心と言う意味での腹。どちらかといえば腹より胸かな?

第4章の11(空)

2015-11-26 17:59:34 | 老子
三十輻共一轂。當其無、有車之用。 
挺埴以爲器。當其無、有器之用。
鑿戸以爲室。當其無、有室之用。
故有之以爲利。無之以爲用。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
11.三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。其の無に当たって、車の用有り。
   埴(しょく)をかためて以て器を為る(つくる)。其の無に当たって、器の用有り。
   戸ユウ(こゆう)を鑿って(うがって)以て室(いえ)を為る。其の無に当たって、室の用有り。
   故に有の以て利と為すは、無の以て用を為せばなり。

[口語訳]
 三十本の輻(スポーク)が、車輪の中心にある轂に集っている。
 車輪を回すための空間があることによって、車輪に有用性が生まれる。
 粘土(埴)を固めて器を作成する。その何もない器の空間によって、器に有用性が生まれる。
 戸口や窓の穴を開けて家を建設する。その何もない戸口や窓の空間によって、家の有用性が生まれる。
 その為、何かがある『有』によって利益が生まれるが、(その有の利益は)何もない『無』の有用性によって支えられているのである。

**************************************************************

時には、心も空(無)にしてみよう!

悩み事を考えず、頭を空っぽにしないと、集中力は出ない。
暗記もできない。

だから、何事も無心で取り組むと良い!
無から有が生まれる!

一見役に立たないと思われる目に見えない(無)に、私達は支えれれているものだ。