あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第4章の6(胎)

2015-11-21 23:25:04 | 老子
谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門。是謂天地根。綿綿若存、用之不勤。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
6.谷神(こくしん)は死せず、是(これ)を玄牝(げんぴん)と謂う。
  玄牝の門、是を天地の根(こん)と謂う。綿々として存するが若し(ごとし)。
  之(これ)を用うれども勤きず(つきず)。

[口語訳]
 谷の神は死なない。それは神秘的な牝(玄牝)と呼ばれている。
 神秘的な玄牝の門、それが天地の活動の根源である。
 それは綿々(細々)と谷川の流れのように続いていて、存在し続けているようだ。
 神秘的な牝の門から幾ら力(生命)を汲みだしても、それで使い果たしてしまうということなどはない。

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(11/23追記)
ハハハ~~面白いが、笑い事ではない。
母親(女性)から生命は生まれる。なぜか?
陰から生まれ出るのだ!
男性は女性を求め、子供も母を求める
生命の根源、無限の生命力=無限の愛情だ!
愛情を持って取り組めば、無限の生命と一体となる。
男でも...子は産めないが...(笑)

第4章の5(戒)

2015-11-21 23:20:19 | 老子
天地不仁、以萬物爲芻狗。
聖人不仁、以百姓爲芻狗。
天地之間、其猶槖籥乎。
虚而不屈、動而愈出。
多言數窮。不如守中。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
5.天地は仁あらず。
  万物を以て芻狗(すうく)と為す。
  聖人は仁あらず。
  百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。
  天地の間は、其れ猶(なお)、タクヤクの如きか。
  虚しくして屈せず、動かせば愈々出だす。
  多言なれば数々(しばしば)窮まる。
  中(ちゅう)を守るに如かず。

[口語訳]
 天地には仁(親愛な思いやり)はない。
 天地にある万物は、藁(わら)で作った犬のようなものである。
 聖人には仁の徳はない。
 聖人にとって百姓(人民)は藁で作った犬のようなものだ。
 天地の間は、まるでフイゴ(吹子・鞴=中が空洞で息を吹き込む送風装置)のようなものである。
(天地の内部は鞴のように)空洞であるが力が無くなって屈することはなく、
 動かせば動かすほどますます力が出るのだ。
 しかし、言葉の数が多い多言であれば、しばしば言葉の力を使い果たしてしまう。
(多言に陥らず)心の内部にしっかりと力を蓄えておくのがもっとも良い。

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(11/22追記)
天地(自分の外)に、ご利益(仁)など期待するな!
そんなあまったれた奴は、犬の藁人形のように粗末に扱われる。
神は、ただただ、恐れ敬い感謝する存在だ!
これは、言葉数が多くても表現できない。感得するしかないのだ。
自分自身の中(心)をよりどころとせよ!

第4章の4(心)

2015-11-21 19:32:32 | 老子
道冲而用之、或不盈。
淵乎似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。
吾不知誰之子。
象帝之先。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
4.道は沖(ちゅう)なり、而うして(しこうして)
之を用うるに或(あるい)は盈たず(みたず)。
  淵兮(えんけい)として万物の宗なるに似たり。
  其の鋭を挫き、其の紛(ふん)を解く。
  其の光(こう)を和らげ、其の塵を同じくす。
  湛兮(たんけい)として常に存するに似たり。
  吾、誰の子なるかを知らず。
  象(しょう)は帝の先にあり。

[口語訳]
『道』は空虚(空っぽ)な容器であり、
これを用いる場合には中身を満たして上げる必要はない。
 道は底(限り)のない淵のようで、
万物の宗祖(祖先)に似ている。
 道は、すべての鋭い性質を鈍くして、
すべての紛糾を解きほぐしてしまう。
 すべての光は弱められ、(弱まった光は)
塵埃(じんあい)の中に埋もれていってしまう。
 道は満々と水を湛えた(たたえた)池のようで、
いつもそこに存在している。
 私は、道が誰の子であるのかを知らない。
『道』の捉えどころのない象(すがた)は、
中国の歴史のはじまりである三皇五帝の時代よりも
 ずっと前から存在しているのだ。

[解説]
 『老子』のこの部分は、「1.学識や才能を隠して、
俗世間と交流する。2.仏教で仏が智慧の光を和らげて、
衆生に分かりやすい言葉・表現で説法を行う。」
  という意味を持つ故事成語「和光同塵(わこうどうじん)」
の原典となっている。

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(11/22追記)
道は、深く広大(沖)である。
満(盈)たすことが出来ない=無限である。
この道は元をたどると、天を統べる頂点(先)にあるようだ。
道(本質・根源)と人の心(良心)はつながっている。
だから、人の心には無限の力(英知・実現力)があり、
限界がない。どんな相手との争いも、
この道(良心)に解決できないはずはないのだ!