あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第4章の4(心)

2015-11-21 19:32:32 | 老子
道冲而用之、或不盈。
淵乎似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。
吾不知誰之子。
象帝之先。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
4.道は沖(ちゅう)なり、而うして(しこうして)
之を用うるに或(あるい)は盈たず(みたず)。
  淵兮(えんけい)として万物の宗なるに似たり。
  其の鋭を挫き、其の紛(ふん)を解く。
  其の光(こう)を和らげ、其の塵を同じくす。
  湛兮(たんけい)として常に存するに似たり。
  吾、誰の子なるかを知らず。
  象(しょう)は帝の先にあり。

[口語訳]
『道』は空虚(空っぽ)な容器であり、
これを用いる場合には中身を満たして上げる必要はない。
 道は底(限り)のない淵のようで、
万物の宗祖(祖先)に似ている。
 道は、すべての鋭い性質を鈍くして、
すべての紛糾を解きほぐしてしまう。
 すべての光は弱められ、(弱まった光は)
塵埃(じんあい)の中に埋もれていってしまう。
 道は満々と水を湛えた(たたえた)池のようで、
いつもそこに存在している。
 私は、道が誰の子であるのかを知らない。
『道』の捉えどころのない象(すがた)は、
中国の歴史のはじまりである三皇五帝の時代よりも
 ずっと前から存在しているのだ。

[解説]
 『老子』のこの部分は、「1.学識や才能を隠して、
俗世間と交流する。2.仏教で仏が智慧の光を和らげて、
衆生に分かりやすい言葉・表現で説法を行う。」
  という意味を持つ故事成語「和光同塵(わこうどうじん)」
の原典となっている。

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(11/22追記)
道は、深く広大(沖)である。
満(盈)たすことが出来ない=無限である。
この道は元をたどると、天を統べる頂点(先)にあるようだ。
道(本質・根源)と人の心(良心)はつながっている。
だから、人の心には無限の力(英知・実現力)があり、
限界がない。どんな相手との争いも、
この道(良心)に解決できないはずはないのだ!

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