ポエブクロウ

自由詩_Azukizawa

どうする人類

2023-04-18 02:53:00 | 

230418_どうする人類


隕石にしても毎日のように地球に降り注いでいる
それが人に当たることはめったにないのに
心配し始めると切りがない

実は隕石よりもっと怖いものがある
それは南極の氷が溶けてしまうことだ
──実際ものすごい勢いで溶けている
しかし、氷の量がハンパじゃないので簡単には溶けてしまわない
全部溶けると世界の海面が60センチぐらいあがるそうだ
海に接している大都会はほとんど陸地を失ってしまう
失わないでも、台風がきたり津波がきたりすれば
沿岸部はとんでもない被害を被ってしまう

もっと怖いことがある、
それは南極には91個ぐらいの火山がある。
今までは分厚い氷が火口に栓をするような形で
噴火しないようにしていたが
その栓がなくなってしまうと次々と噴火するというパターンになってしまう
そうなると想像もしたくない
気候の大変動が起きてしまう
地球の生物の大量絶滅ということも考えられる
さらにツンドラからはメタンガスがふきだし、
深海は大量のメタンハイドレートが溶け出してくる

言葉で情報を集め、言葉で考えていたら夜も眠れないくらいの
不安が襲ってくる

──どうする人類?

 

 

 

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結界01

2023-04-13 06:03:29 | 

230413_結界

結界は宗教的な意味の言葉だ。
もっともわかりやすいのはあの世とこの世との結界だろう。

我々は無意識にあの世とこの世とを分けている。
あの世は死者の世界だ。
この結界がなければ、死者はいつでもこの世に出てきてしまう。
つまりこれが不成仏霊というやつだ。
どんな死者も多かれ少なかれこの世に未練を残しあの世へと旅立つ。
悟りを開き旅立てるものはほとんどいないだろう。

もし精神に結界を設けなければ、あの世へ行った霊はダムが切れたときのように
 現世へと流れ込むだろう。

──というのは宗教的な意味での結界だ。
結界を単に「精神的な壁」という事にしたら、別なことに有効に使えるはずだ。

たとえば、「言語結界」という言葉を作ってみた。
それは言葉の意味を作っている結界だ。たとえば、水と火とでは意味がまったくちがう。
我々はイメージとして使い分けている。
この二つの言葉を別々に検索してみれば一目瞭然だ。
さっそくgoogleで検索してみよう。この時画像として見てみるともっともはっきりする。

この意味の違いが頭の中でこんがらがってしまと我々は言葉によって正常な言語活動が
出来なくなってしまう。

また人も自我が精神的な結界を持っていてある範囲からは立ち入らないように結界をは
っている。
無断で立ち入ったり、破壊したりすれば法律によって相手を訴えることが出来る。
ましてや金品を奪われたり、危害を加えられたりすれば、訴えなくても警察に取り締ま
られてしまう。

国というのも大きな単位での結界であり、それぞれの憲法によって守られている。

この結界をプーチンのように戦車やミサイルで破ってしまえば戦争犯罪行為となってし
まう。
プーチンがいかなることを言ってもそれは正当化にすぎず、人間が犯すことの出来る最
悪の犯罪となってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

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かたたがえ

2023-04-10 11:53:53 | 

230410_かたたがえ

今日の「おじゃる丸」は面白かった
はじめて知るその言葉の意味を面白おかしくアニメにしてくれた

いやな予感がするというだけで
遠回りするというのは単なる迷信

というだけで思考停止してしまったのではもったいない

じつはここに言葉がもっている文化性というものがある
文化だからこういうことが起こってしまうのだ

人はあらゆることを言葉で考え判断し行動する
逆に言葉を使わないで行動することは難しい
できない、といってもいい
それは行動するための当たり前の道具としているからだ
しかし、言葉は無意識からひきだして使うものとしての制約を
持っている

つまり、いろんな心配事まで引き出してくる
ロボットでない限りその引き出しなく言葉を扱える人はいない
それが迷信的判断と解っていてもきっぱりと跳ね除けることは出来ない
いや、それが出来ないのが人間なのだ

しかし、権力者ならそれを無視しすることが出来る
だから、しばしば残虐な行為が生まれる

しかし、いちどその壁をのり超えてしまうと、「みせしめるよろこび」
というものが生まれ、いろんな魔的なアイデアが無意識に並ぶようになる

まだ、「かたたがえ」という小さな迷信にとらえられていたほうがました

 

 

 

 

 

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椅子に裸婦

2023-04-10 09:38:16 | 

230410_椅子に裸婦

画家はどうして「椅子に裸婦」を描いたのか

女性の裸体というものが重力に対してどういう造形を作り出すか
という「美術的試み」としたかったからか
いやいや単に
中年のいやらしさをごまかすためか……わからない

いや、「女」という造形が生まれる原初的な瞬間をつかみたかったのか
──わからない

ともかくリビドーが作り出す……

ただ、それをセックスとして消化してしまうことが
もったいなかったから、かもしれない

美の探究というより、
少しでもお金に換えたかったのかもしれない

 

 

 

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自分の部屋2

2023-04-07 16:06:05 | 

20020410_自分の部屋

1)
自分の部屋に帰ろう
暖かいその部屋に
昔の愛がまだここには残っている

いいんだよ誰もおまえを責めたりはしない
傷ついた小鳥だもの
自分の部屋で疲労をゆっくりととりのぞけばいい
ここまで土足ではいりこむやつはいない

しかしひとつだけ忘れないでくれ
どんなに隠れても
尻尾は隠すことができんのだ、ということを

おまえの言葉が実はしっぽなのだ
社会とのつながりを断つことは絶対にできない
ことばから心の汚染がはじまるのだ

だからこそ大切なことは自分の言葉をもつ事なのだ
ちょっとお説教じみているが
とっても大切なことだからね・・・・

2)
さて自分の部屋で何をしようか
自分がもっとも好きなこと・・・・
何でもいい
寝るのもいい
哲学を考えるのもいい
パソコンのプログラムをやるのもいい
GOTOぶんでぐるぐる回しをやるのもいい
音楽を聴くのもいい
キーボードをたたいてみるのもいい
もし心が落ち着いて来るとしたら、
君の部屋だ
もし過去が一つの領域であるように見えてきたら
君の部屋だ
もし許すことの出来ない相手に対する反旗を
おろす気持ちになれれば
君の部屋だ
少し眠くなってき、早朝にもう一度目がさめたいと思ったら
君の部屋だ

3)
ほんとうのことを言うと僕は子供のころから
閉じこもるのが大好きだった。
小学校4年のころは
学校に行くのがいやになり内で寝てばかりいた。
そのときぼくは「模型とラジオ」とか
「初歩のラジオ」に閉じこもった。
雑誌のはじっこがやぶれるほど繰り返し読んだ

小学校5年のころ味わったこともない憂鬱に襲われた
ときに目の前が真っ暗になった
「おれに未来、というものはないんだ」と思うようになり、
気持ちも暗くなっていった
しかしそんなときひとつのアイデアを思いついた
僕のはじめての閃きだ
「落語や漫才をいっぱい聞いてうんと笑えば、なんとかなるさ・・・・」
僕はラジオに閉じこもった。
その当時はまだその道の大御所たちが活躍していた。
三遊亭・・・桂・・・林家・・・
みんな生きていた
60数年経ったいまでもその語り口が耳に残っている
一年も聞いていると
冗談をいえるほどになった。

都会にでて最初の会社を3年でやめたとき
また閉じこもった
ノートに閉じこもったのだ
ノートの中の思索の世界
そこになんともいえない「知恵の世界」を見つけた。
とくに頭がよかったわけじゃない、
いや、勉強嫌いだから
書いて考えることが面白くなったのだ
僕はそこで書くことによって
疑問からいろんな世界が生まれてくることを発見した。
書きに書きまくり、すぐにノートが数十冊になった
そしてそこから
架空の存在との対話が始まった

僕は「ケイ」「アムサス」「ラー」といった聖なる存在との対話を楽しむようになった。
幸いなことに彼らは僕に命令する存在にはならなかった。

4)自分の部屋に閉じこもろう
そしてのんびりとお茶でものみながら
架空存在との対話を楽しもう
話し掛ければいくらでも返事をしてくれる

20230407

  雨

私は雨が好きだ
雨音を聞いていると別な世界へ入り込んでしまう
こんなときビールでも飲むと
想像に翼が付き
どこへでも飛んで行けそうな気持ちになる

今日はあの人達に会いに行こう
SF小説のなかで師に従い消えていった10人のエマゲ人達……
確か彼らはこんな名前だった
(一人も覚えられないから、名前を出すのはよそう)
……
……
その長らしい人物カリャに話しかけてみた
 カリャよあなた方は悟りの世界にいるのか、
 それとも冷め切った状態にいるのか

私は悟りの世界にいるのでも、
 冷め切った世界にいるのでもない
 つねに命の不思議という狭間にいる
 涅槃という安らぎの世界は得られなかった
 ──というより「得るものではない」ということを知った
 それは例えば、極北の世界で淡く光り輝くオーロラにであったようなもの
 言葉ではいいあらわせぬ感動がそこにある
それと同じように心の中も正しい修行をすればするほど、
新しい感動的な世界と遭遇する
毎日遭遇することも出来るし、数年に一回しか、という場合もある
 これだけは言葉で伝えることは出来ない、感動そのもので伝えるしか
 できない

カリョよありがとう
私もそういう世界を求め歩んでみたい……

 

 

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