ポエブクロウ

自由詩_Azukizawa

自我とは15〈無意識も考える〉

2023-06-30 04:30:51 | 

230630_自我とは15〈無意識も考える〉

今時分の夜は、暑さで考える。
私は暑いのも寒いのも嫌いだ。
クーラーの調整の仕方で悩んだりする。部屋の温度が28.5度(寒い)から
30度(暑い)の間を行ったり来たりする。
結局29.5度が快適となる。
この温度は普通熱中症を心配しなければいけない温度だ。
しかし、クーラーで調整してやれば、湿度が下がるのでわりと快適だ。

ところが今日はこのクーラーの調整で無意識がいろいろと考えていることに気づいた。
夢の中でかなり難しい言葉を使いゴタゴタと考えていた。
クーラーのタイマー切れで熱くなって来、目が冷めてしまった。

それはまるで、無意識の中に議員がいて、
調整温度について議論しているみたいだった。

そんなにも無意識で言葉が使われているとは思わなかった。
──そこに別な自分がいる見たいだった。
たぶんデフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)というやつだろう。

私の頭が悪く、明快に答えを出せないからぐだぐだと考えてしまうのかもしれない……

 

 

 

 

 

 

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自我とは14〈記憶と自我〉

2023-06-28 07:14:36 | 

230628_自我とは14〈記憶と自我〉


人生の中にはさまざまな記憶が眠っている。
しかし、いろんな場面で出てきては自分というものを支えてくれる。
もしそういった記憶が支えてくれなければ、「自分」というものは薄っぺらなものに
なってしまうだろう。
似たような記憶はグループを作っており、そのなかのひとつを思い出せば関連した事
柄も容易に引き出せる。

*O製作所でのある場面を思い出した。1978年ぐらいの記憶だ。
 その会社は夫婦でやっている小さな会社だった。私はそこで基板の検査の仕事
 をしていた。ある日の残業の時、おやじさんが先に帰った。私は欲しかった電
 卓の基板があったので、検査の仕事をやめ、隠して置いた電卓の基板を取りだ
 し、動くように配線した。
 社長が出ていって、3分ぐらいで戻ってきたのだ。私はふいをつかれ、秘密の
 電卓基板を隠すことも出来なかった。
 硬直した私の後ろから何かを言って再びでていった。
 「仕事をやっていなきゃいけないのに、ばれっちまった!」という思いが残っ
 た。
 似たような気まずい瞬間は何度かあった。

 こんな事を思い出していたら、O社で働いていたときの事を思い出した。
 1972年頃から1985年ぐらいまで働いた。
 その時代は電子技術がトランジスターからICへかわり、マイコン時代へ入っ
 てゆく過渡期だった。
 コンピュータゲームが出てきたのもこの時代だ。
 ドルビー回路も1972年頃はまだお札ぐらいの基板だった。トランジスター
 と抵抗、ダイオードで作られていた。
 とくに楽しかったのはパートとして来た人たちといっぱいおしゃべりをしたこ
 とだ。カラオケなんかもよく行った。
 ・・・・・・

という風に思い出していたらきりがないほどその時代の記憶はいっぱいある。そこでの
記憶の中でとくに今の自分作ってくれている記憶がある。
それは技術者として誉められた記憶だ。私の事をよく評価してくれたのは親会社の人た
ちだ。
Aさんは私の不良対策書を誉めてくれた。
Bさんは技術を誉めてくれた。
Cさんは私がトランジスターが破損する事故の原因を突き止めたことを誉めてくれた。
・・・・
O社をやめて、T社に入った時もなぜだか親会社の人に誉めてもらった。
・・・・
こういった、誉めてもらったという記憶が今の自分を支えている。
反対に自分否定の記憶もある。
つまりそれは他人とトラブルをおこした記憶だ。中には自分はまったく悪くないのに、と
いう記憶もある。
ついこの前まで、4年間いた板金の会社での記憶も自分をささえている。なれない職場だ
ったので否定の記憶もあるが、自分の支えとなる記憶もある。
ほとんど人間関係に関する記憶だ。

他人に誉められた記憶が自分を高めようとし、叱られた記憶が自分を抑えようとする。
今のところこの二つがだいたいバランスがとれている。
自我を一本の杉の木だとしよう。
自然環境の中にも肯定の要素と否定の要素とがある。
肯定は太陽の恵みや、適度な雨、そして多種多様な生物環境。
否定は嵐や洪水、地震などだ。つねに杉の命を脅かす要素だ。

*人間社会にも否定の要素は多い。巨大権力やイジメがそうだろう。
巨大権力は「個人の自由」というもの「生きる権利」を生活の保障というかたちで脅かす。
つまり「お前の生活は保障する、そのかわり俺の命令に従え、」というわけだ。
イジメはピラミッド的な社会から少しでもはみ出そうとする人を攻撃することだ。
ときにはみ出すことが命取りになる場合もあるのだ。
そういったイジメと闘う所に自分というものの存在性がある。
それは杉の木が自然の災害と闘って生き延びるようなものだ。

(生きるための自分作り)
自分というものが記憶にあるとすれば、自分を変えるには記憶を変えてゆけばいい。
今現在も時がすぎれば記憶となる。
つまり、今現在の行為を変えればいいのだ。
いちばん簡単なのは呼吸の記憶をかえることだ。といっても無意識がやっていることだから
簡単にはかわらない。
<呼吸の記憶>
こんな単純なことを記憶しているだろうかと思われるかも知れない、実は記憶しているのだ。
記憶しているからこそ、落ち込んでゆくと呼吸も悪くなってしまう。
酸素を充分に吸わない呼吸に慣れてしまう。
時にお腹で大きく呼吸をし、言葉を休ませ、瞑想を楽しむ、こんな簡単なことでも我々の無
意識はこの事を記憶するのだ。
いつも「焦りにおわれている」という記憶を残してしまうと、その記憶がさらに我々を追い
込んでしまう。
<チリアカの記憶>
自分の身のまわりを見てみよう、なんでもないものが悪い記憶の元になっている場合がある。
生活が乱れてくるとあらゆるチリアカがたまってくる。生活空間が生活にうずまってしまう
ということも起こってしまう。
「かたずけられない」ということで家の中をほったらかしにしておくと、それが自分を否定
する記憶として蓄積する。
生活の中に自分肯定の記憶を残すと言うことが大切だ。
<空間の記憶>
空間を少しでも空間として意識すること。絵に描いてもいいし、写真にとってもいい、散歩
で河原に出てみるのもいい。空間を意識すると言うことはそこで深呼吸してみればいい。
そのとき空間が記憶され、自分のベースとなるだろう。
追いつめられた人は空間の記憶がほとんどできなくなり、自分の置き場を失ってしまう。
失業していても、(私のように)空間記憶さえ忘れなければ、生きて行ける。
お腹で大きく呼吸(腹式呼吸)をすることがその記憶のスイッチをONにすることなのだ。
シャッターを押すように。
<呼吸は歌に>
呼吸を自然に発展させたものが歌である。
我々は、現代のようにテクニックばかりの歌ではない、原始的な歌をもっている。それは
呼吸の延長上にあるものだ。
「あ」だけでもいい。まず呼吸といっしょに自然な「あ」を発音する。これだけでもいい。
なれてきたらちょっと大きく息を吸い込み「あー」と長く言ってみる、そして空間へその
音声が広がって行く、というイメージを持つ。もちろん腹式呼吸で行う。
つぎに、最初の「あー」と音程を変えた「あー」を連続して出してみる。「ドー、レー」
でもいい。

こういった試みをすることが新しい自分を作るための記憶となるのだ。

我々の無意識はこういった試みが大好きで、「待ってました!」とばかり取り入れる。

 

 

 

 

 

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自我とは13〈道〉

2023-06-18 02:44:47 | 

230617_自我とは13〈道〉

2001年307d作

ひとつの道がほしい
それがどんな道なのかわからない
自然の中の道なのかもしれない
オズの魔法使いへの道かもしれない。
さあいっしょに行こう、求めよう。

 道
  道
 どこまでも続く道
   歩けば歩くほど
     人生がわかる
      いやわかんなくてもいい
   とにかく歩こう
  いいやつも、悪いやつもいっしょに歩こう
  時間の中の道
 アインシュタインの道
   探求の道
    言葉の道
     映像の道
      物語の道
     悲しかったことの道
     楽しかったことの道
     愉快だったことの道
     道
    きむずかし親父の道
    がんこものの道
   南無の道
  俳諧の道
 どうらくの道
 なにもなかったという道
 なにかあったという道
 けむしの道
 むかでの道
 へびの道
 狸の道
 道でない道
 通り道
  よそみの道
   びじんの道
    愛する人の道
    やそじの道
     道である道
      未知なる道
       引き潮の道
 
--------------------
人間はいろんなものに化けることが出来る。
タヌキには狸の道しかない。しかし、演じる事によって狸になることも蛇になることも出
来る。
言葉で暗示すればいい。
巨大な脳みそが「言語回路」を作っていて自分をだますことが出来るようになっている。
完璧にちかく出来るのは人間だけだ。

生まれ落ち最初にそれをやってのけることが出来るのが母親というものだ。
母親の言葉教室の中でもっとも基本的な自我ができあがる。ゴーヤの赤ちゃんみたいなも
のだ。
これが「コアー」と言われるものだ。
したがって母親がわざとゆがんだ事を教えてしまうと、コアーそのものが病的なものにな
ってしまう。
しかし、子供は修正回路を持っていて、自分で直してしまうことも有る。
落語に親に意見する子供が出てくる。

原始社会ではシャーマンの精霊信仰が自我育に大切な役割をする。
そこでは少年が部族の一員として、自然の中でたくましく生きてゆくための知恵を自我と
する。

現代では小学校から高校までの学校で自我を育てる。学校で足りない部分は近所の友達の
中で常識的な自我を育てる。
こっちの方が重要な場合が多い。

〈自我をねらう犯罪〉
は実に多い。財産を直接ねらってくる強盗は社会の中でけっこういるが、110番すれば
すぐに駆けつけてくれるお巡りさんがいる。やっかいなのは、自我の構造を熟知し、だましで
やってくる犯罪者たちだ。
その代表がオレオレ詐欺だろう。
今でも「なんで」と言いたいぐらいお年寄りが騙されている。奴らは数百億も稼ぎまくっ
ている。

普段から自我の特殊性を勉強してれば、こういったたぐいの犯罪のほとんどを防ぐことが
できる。
わざわざ図書館で心理学の本を読まなくても茶の間で面白おかしく学ぶことができる。
それが日本にわりと多い刑事ドラマだ。
あるいは、韓ドラでも学ぶことが出来る。

 

 

 

 

 

 

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かなしいね

2023-06-09 05:56:35 | 

230609_かなしいね

いろんな情報をつなぎ合わせて
考えるしかない

すると「かなしいね」という言葉が残った
人が苦しむことを平気でやってのける

何十万という人々の
平常な生活が水没によって破壊されてゆく

流れ出す数百万個の地雷
もれだす汚いオイル

避難を理由に住民の国籍をかえる
従わないものは強制的に連れ去る

これで味をしめた独裁者は次の手を考える
どんな汚いことでも彼にとっては特殊軍事作戦なのだ

 

 

 

 

 

 

 

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自我とは12〈ヤジロベイ〉

2023-06-05 10:02:08 | 

230528_自我とは12〈ヤジロベイ〉

自我とヤジロベイ
ほとんど関係なさそうだが、実はそうでもない。
──自我はほんらい不安定なものだ。それは我々の内部の生物が作り上げているからだ。
鳥の巣のようなものだ。
しかも、血が通っていてその時々の感情によってかわってしまう。
ヤジロベイはそんな不安定な自我を安定化するための無意識の知恵だ。

〈言葉による安定〉
我々が普段最もよく使うものは言葉によるヤジロベイだ。
韓国語には「ケンチャナヨ」という言葉がある。良い方にも悪い方にも使える便利のいい
言葉だそうだ。
右のほうに傾いたら、ケンチャナヨ、
 左の方へ傾いたらケンチャナヨと心を安定させることが出来る。

しかし、言葉によるヤジロベイには限界がある。
実は無意識もヤジロベイをもっている。デフォルト・モード・ネットワークがそうだ。
つまり、ぼんやりとしたまどろみ状態のときに無意識が活発に働く現象だ。

中にはそれをまとめ想像の翼として羽ばたくことができる人もいる。それが瞑想というも
のだ。

 

 

禅定などはできるだけ言葉を使わないで、息遣いや姿勢で心を安定させる。

 

 

 

 

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