石ころ

パウロの祈り(エペソ3章)

 

天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。(15~16)

 

すべての造り主なる神、ご計画によって神の家族として生んでくださった、御父に祈るパウロの祈りは、まるでイエスさまの祈りのよう・・、うちに居られるキリストの祈りのよう・・。確かに、私たちの祈りは、キリストの祈りとして神の御前に届けてくださる。

 

「父の栄光の豊かさによって、御霊の御力によって強めてくださいますように」との祈りは、今に至るまで教会に対するパウロの祈りでもあり、主は今もその祈りに備えていてくださっている。

 

それは御霊による力強さであり、すべては神の備えによることである。強められる内なる人とは、キリストにあって生きている人である。
霊の目を開いて、たまわっている栄光の豊かさがどれほどのものかを悟らせて、日々のみことばからすべての必要を満たす力である。

 

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、(17~18)

 

キリストのうちに根差して生きる者は、その愛によってすべての必要を心に満たされている。また、キリストは私たちのうちに住んでいてくださり、神の栄光の富がどれほどのものであるかを、日々に経験させてくださるようになる。

 

その広さは、キリストを受け入れるすべてを包み込む愛であり、
その長さは、永遠に続いて途切れることのない愛であり、
その高さは、天の御父の住まいに導く愛である、
その深さは、どんなに掘り下げても、ボロが出ることのない真実な愛である。

 

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(19)

 

キリスト者とは、このような人の思いも及ばぬ神の愛の中を、キリストを信じた時から生きる者である。その歴史の中にあるみことばを味わい、それによって世の知らない平安を経験して、神に愛される愛と、神を愛する愛の充満とされるのである。

 

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(20~21)


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