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立派な建物も、家族関係も、過去の経験も壊されて行く時が来るとある。また、偽りの救い主が現れクリスチャンさえも惑わされるようになると・・。
戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。(マルコ13:7~8)
産みの苦しみは新しい誕生のためである。世の終わりにイエスさまが再び地上に来られるのは、約束の民の救いのためである。ただ、その時は命がけではあり失われるものも多くある。
その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。(マルコ13:19)
主にすべてをお委ねしないと悪い時代は通過できない。それぞれが身一つで主に行くのである。世のものを惜しんではならない。
また人に憎まれるようになるとあるけれど、それは真実を語るからである。しかし恐れることではなく、祈りによって主への捧げものとすればよい。そうするなら平安をたまわり、人には憎まれても主は祝福してくださる。
その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。(マルコ13:24~26)
人類が経験したことのないことが起こる。人の知識も知恵も役に立たないのは、未知のことが起こるからである。
だから、主は聴きなさいと警告されているのだ。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。(マルコ13:32~33)
何時かわからないとあるが、キリスト者にはいつものとおりで良いのだ。主と共に在る日常にすべての備えがある。
携挙が何時か・・再臨が何時か・・、しかし、キリスト者にはすでに主に在ってすべてを持っているのだ。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。(詩編121:3~4)
偽りが蔓延するときも、主に在る者が惑わされることはない。いつも交わりの中にいて、主を良く知っているからである。
迫害の中でイエスさまを証言するときも、語るべきことを準備してくださるさるのは聖霊、神さまである。ただ、聴いた通りに明確に話せばよい。用いられることの光栄に感動しつつ・・使徒たちのように。
主に見える日の喜びは何にも勝り、それは産みの苦しみなのだから。