ルカ10章を読む。
「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。」
「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」
この二つの言葉は矛盾しているようだけど、なぜこう言われたのだろう。
息子「出かける前には、弟子達がこれからすごい経験をするので、慢心しないためだろう」
私「私たちは弱いけれど、イエス様の権威によって守られているということじゃないのかな」
「ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
息子「聖霊によってとあるけど、イエス様は人の霊も魂も持って居られたのかな、だろうね、完全な人となられたのだから。」ひとりで納得している。
私「イエス様は聖霊によって喜んだり、怒ったり、涙を流したりされているね。感情は魂の働きだけど、霊によって喜んで居られるね。」
息子「人間もそういうことがあるかなあ・・」
私「あると思う。クリスチャンとして、すごく健全な状態だと思うけど」
私「イエス様は、知恵ある者が悟るという、人間の普通の状態とはまるで逆の、幼子のような弟子達や私たちに、神様を知らせてくださったことを、とても喜んでくださっているね」
息子「パリサイ人や律法学者じゃなかったんだね」
「あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。」
息子「旧約聖書の時代の神と、新約の神はまるで違うようだ。契約の箱を支えただけでも死んだ人が居たね」
私「そうだね。旧約時代は救い主が来られるための備えの時代だと思う。人はまず神様の 聖さ、義が分からないと罪も分からず、イエス様の十字架の意味を知ることも出来ないからね。だから『今は恵みの時、今は救いの日です。』と書いてあるよ」
息子「本当に今はすごい時代なんだ。」
こんな時間も、イエス様の大きなご配慮の中で持つことが出来ている。彼には去年転勤の話があった。しかしその話が消えて、毎週家に戻って来る事が出来るから、このような時間を持つことができる。
聴覚障害の彼にとって、聞こえる方々ばかりの職場では、かなり緊張状態にあるようなので、週末毎にリラックスできる今の環境は、非常に重要だと思っている。イエス様はすべてをご存じで、彼の必要を備えてくださっている。そのイエス様を知ることに、幾らかでも時間を用いることが出来るようにと願っている。
どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。
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