昨年末から私の症状が少し変わってきている。理由は分からない。
悩みの中心は「痺れ」で、これは身体がビリビリ、ジンジンして電気が走るような違和感があるわけだが、これがちょっとやそっとの代物ではない。この自覚的に感じる異常感覚は、接触など外部からの刺激によるものではないので始末に悪い。
私の痺れは、確実に中枢神経系によるものだから、片麻痺になる。脳卒中などでは通常は痺れだけではなく、同側の手足の感覚や運動麻痺、それにろれつが回らない等の症状が残る。私にはろれつ云々の症状はなかった。ろれつは律呂の事で、和楽でいうと律は楽音の絶対音高で、呂は低い音域を示す。
当初の私の失語症の悩みは言葉が出るかどうかであって、呂律云々は全くなかった。言葉に出してみようと思う時、間単に言えば、偶々、運悪く出して聞いてくれる相手がいなかったという事である。そして、何か聞いてみようと思った時、何故か英語が先出したに過ぎず、偶々、そこに英語を話す医者がいただけの事である。そして、必然的に患者と医者の会話が英語になったに過ぎない。
その後、リハビリ通院でほぼ日本語オンリーの療法士に診て貰い、多くの日本人の患者と話す機会ができてきて、私の日本語が見事に蘇ったのである。日本語に不自由を感じなくなった私は障害者センターに通い始め、私設のリハビリ兼マッサージ施設に通い出した。
だが、リハビリ病院で日本語が蘇る前に、私の「痺れ」は始まっていた。そして凡そ1年後、リハビリ兼マッサージ施設で僅かな「痛み」を感じ始めた。更に1年後、痒みが始まった。痒みは虫に刺された時以外には、血流が活発になると僅かに感じるようになった。こうして、感覚を徐々に取り戻す私はマアマア喜んでいた。
だが、今年に入ってからの感覚はマアマア喜んでいた筈の私に「結構!」より「止めて!」を言わしめる、と思い始めている。これまでの内部刺激による痺れ感覚が更に妙に進んで外部刺激によって痛みが起こり、痺れが増していく事になってしまったのである。あえて私は「なってしまった!」と言いたい。それほど痺痛は私にしてみれば嫌われものなのである。今現在の私の症状には主に三通りある。先ず、全く目に見えない内部刺激による痛覚が私の潜在痺れを襲撃する。ふたつ目は、それプラス触覚である筈の痛みが潜在痺れを脅迫する。そして、最近感じ始めた三つ目は、更にそれプラス末梢神経による痺れが後押しする形になる。末梢神経である三叉神経は顔面皮膚、更に三枝がそれぞれ眼球、舌、歯髄の知覚を司り、この神経が障害を受けるとこれらの領域に痺れが起こり、酷くなると激痛が走る。 潜在感覚として以前から私の脳の中で私を悩ますホムンクルスが動き出すと顔面右半分が何かに咎められた様に想像以上に歪んでいるように感じる。イエス・キリストの創造主の領域に、私が足を踏み入れてお咎めを受けているのだろうか、と思うほどである。
感覚が戻るという事はこんなにも非情な事なのだろうか。痺れに対してよい効果をあげると言われる漢方で治療の為にする鍼灸治療も真剣に考えてはみるが、中枢性の痺れには、と?マークがあるものを試す気はない。そうかと言って、先日自発的に中止した錠剤等を再び飲み始める気はない。斯くして、我慢と自然任せという二つの言葉が私の脳を占領する事になる。
悩みの中心は「痺れ」で、これは身体がビリビリ、ジンジンして電気が走るような違和感があるわけだが、これがちょっとやそっとの代物ではない。この自覚的に感じる異常感覚は、接触など外部からの刺激によるものではないので始末に悪い。
私の痺れは、確実に中枢神経系によるものだから、片麻痺になる。脳卒中などでは通常は痺れだけではなく、同側の手足の感覚や運動麻痺、それにろれつが回らない等の症状が残る。私にはろれつ云々の症状はなかった。ろれつは律呂の事で、和楽でいうと律は楽音の絶対音高で、呂は低い音域を示す。
当初の私の失語症の悩みは言葉が出るかどうかであって、呂律云々は全くなかった。言葉に出してみようと思う時、間単に言えば、偶々、運悪く出して聞いてくれる相手がいなかったという事である。そして、何か聞いてみようと思った時、何故か英語が先出したに過ぎず、偶々、そこに英語を話す医者がいただけの事である。そして、必然的に患者と医者の会話が英語になったに過ぎない。
その後、リハビリ通院でほぼ日本語オンリーの療法士に診て貰い、多くの日本人の患者と話す機会ができてきて、私の日本語が見事に蘇ったのである。日本語に不自由を感じなくなった私は障害者センターに通い始め、私設のリハビリ兼マッサージ施設に通い出した。
だが、リハビリ病院で日本語が蘇る前に、私の「痺れ」は始まっていた。そして凡そ1年後、リハビリ兼マッサージ施設で僅かな「痛み」を感じ始めた。更に1年後、痒みが始まった。痒みは虫に刺された時以外には、血流が活発になると僅かに感じるようになった。こうして、感覚を徐々に取り戻す私はマアマア喜んでいた。
だが、今年に入ってからの感覚はマアマア喜んでいた筈の私に「結構!」より「止めて!」を言わしめる、と思い始めている。これまでの内部刺激による痺れ感覚が更に妙に進んで外部刺激によって痛みが起こり、痺れが増していく事になってしまったのである。あえて私は「なってしまった!」と言いたい。それほど痺痛は私にしてみれば嫌われものなのである。今現在の私の症状には主に三通りある。先ず、全く目に見えない内部刺激による痛覚が私の潜在痺れを襲撃する。ふたつ目は、それプラス触覚である筈の痛みが潜在痺れを脅迫する。そして、最近感じ始めた三つ目は、更にそれプラス末梢神経による痺れが後押しする形になる。末梢神経である三叉神経は顔面皮膚、更に三枝がそれぞれ眼球、舌、歯髄の知覚を司り、この神経が障害を受けるとこれらの領域に痺れが起こり、酷くなると激痛が走る。 潜在感覚として以前から私の脳の中で私を悩ますホムンクルスが動き出すと顔面右半分が何かに咎められた様に想像以上に歪んでいるように感じる。イエス・キリストの創造主の領域に、私が足を踏み入れてお咎めを受けているのだろうか、と思うほどである。
感覚が戻るという事はこんなにも非情な事なのだろうか。痺れに対してよい効果をあげると言われる漢方で治療の為にする鍼灸治療も真剣に考えてはみるが、中枢性の痺れには、と?マークがあるものを試す気はない。そうかと言って、先日自発的に中止した錠剤等を再び飲み始める気はない。斯くして、我慢と自然任せという二つの言葉が私の脳を占領する事になる。
いつも楽しくみています。
また遊びに来ますね
悩み相談・・・人にいえない
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